なんのための嘘か、秋成「歌のほまれ」
同じフレーズ「鶴 鳴き渡る」を含む万葉集の歌。
和歌の浦に潮満ち来れば潟 を無 み
芦辺 をさして鶴 鳴き渡る (山部赤人)
妹 に恋ひ阿虞 の松原見渡せば
潮干 のかたに鶴 鳴き渡る (聖武天皇)
桜田へ鶴 鳴き渡るあゆち潟
潮干のかたに鶴鳴き渡る (高市黒人)
なには潟潮干に立ちて見渡せば
淡路の島に鶴 鳴き渡る (作者不明)
この四首を並べて上田秋成が「歌のほまれ」で言うには、赤人も黒人も聖武天皇に仕えた。その二人がどうして御製を犯すようなことをするものか。昔の人は見たとおりを心のままに詠んで、すでに人が詠んだとも知らずに次から次へひたすら詠んだ。そういうものこそまことの歌というのである、と。
この論には嘘がある。
ひとつは、赤人も黒人も聖武天皇に仕えなかった。
もうひとつは、歌の作られた順が、黒人、赤人、聖武であること。
ということだから、嘘があるというより、嘘しかない。
「歌のほまれ」は創作。秋成は承知でこの錯簡をやっている。でも、なんのために?
和歌の浦に潮満ち来れば
桜田へ
潮干のかたに鶴鳴き渡る (高市黒人)
なには潟潮干に立ちて見渡せば
淡路の島に
この四首を並べて上田秋成が「歌のほまれ」で言うには、赤人も黒人も聖武天皇に仕えた。その二人がどうして御製を犯すようなことをするものか。昔の人は見たとおりを心のままに詠んで、すでに人が詠んだとも知らずに次から次へひたすら詠んだ。そういうものこそまことの歌というのである、と。
この論には嘘がある。
ひとつは、赤人も黒人も聖武天皇に仕えなかった。
もうひとつは、歌の作られた順が、黒人、赤人、聖武であること。
ということだから、嘘があるというより、嘘しかない。
「歌のほまれ」は創作。秋成は承知でこの錯簡をやっている。でも、なんのために?