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2018-11-29
吉良上野介が討たれたスラップスティックな一夜
小林信彦の『裏表忠臣蔵』は松島栄一の『忠臣蔵』(岩波新書)に刺激されて構想された。
松島『忠臣蔵』の発行日は1964年11月20日。
小林がこれを読んだのが、発行直後の1964年11月25日。「むさぼるように読んだ」(小林「作者ノート」)という。

1964年は東京オリンピックの年。
「スポーツに形を借りたナショナリズム高揚の年であり、あまりの息苦しさに、ぼくは大阪へ逃亡したほどだ。」(「作者ノート」)

同じく1964年。この年のNHK大河ドラマは『赤穂浪士』。
松島『忠臣蔵』はいわばNHK版『赤穂浪士』へのアンチテーゼとして書かれた、と小林。この著には、吉良上野介の人物像が通説と違うことが暗示されているが、それが「暗示」にとどまったのは、松島氏が歴史学者であり、確たる資料のないことは書かなかったこと、および時代の「風圧」による。「東京オリンピックと「赤穂浪士」は、日本経済高度成長のシンボルだとぼくは思っているが、そうした暴風雨のさなかに、「これはおかしい!」と叫びつづけるのは、勇気がいるし、むずかしいことでもあった。」(「作者ノート」)

小林信彦『裏表忠臣蔵』の第12章「虐殺またはスラップスティック」で描かれた吉良邸討ち入りのくだりは、杉浦日向子の「吉良供養」(→「救済か供養か」)とそっくり。
『裏表忠臣蔵』の出版は1988年。
「吉良供養」の初出は1981年の雑誌『ガロ』、単行本に入ったのは1983年。
けれども小林が「吉良供養」に拠った形跡はない。
にもかかわらず両書がそっくりなのは、確からしい資料を大きくは踏み外さない範囲での創作なら、誰が書いても結果は似たものになるだろうから。赤穂事件を扱った膨大な創作物のうちでも、この2冊は最も事実に近いものであるはず。
両書がそろって描き出した討ち入りの様相は、浪士方による一方的な虐殺。
感情移入を排してながめれば、スラップスティック。
杉浦日向子に言わせれば、「完全なワンサイドゲーム」、「まぎれもない惨事」(「吉良供養」)。

「講談本や講談的資料で伝えられる〈戦い〉はありえようはずがなく、邸内で展開されたのは、まぎれもない虐殺であった。義央の人相を知らずに討ち入りをした以上、立ち向ってくる者は〈皆殺し〉にする――これが大石の指令であった。寅ノ刻(十五日午前四時)の襲撃とは、不意打ちといえば聞えがいいが、熟睡している者たちを襲っての嬲り殺しである。」(「虐殺またはスラップスティック」)