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2018-12-30
折口版「時には母の〜」
折口信夫の祖父母は相養子。祖父も祖母も他家から養子に入って夫婦となり、折口家を継いだ。ここでいったん折口家の血統は切れている。なお、祖父は別の養子先から転じて折口家に。

この夫婦に三人の女の子ができた。上から、こう、ユウ、ゑゐ。
男の子のいない折口家は養子を迎えて長女のこうと夫婦にした。養子の秀太郎もいったんよその養子先をしくじって、折口家に来た人物。
秀太郎とこうの夫婦は、一人の女の子と四人の男の子を得た。
男の子たちの名は、上から静、順、進、信夫。
四男の信夫(折口信夫)だけ兄三人とちがって名前に「夫」がつく。なにか理由があるのだろうか。

信夫の叔母にあたるユウとゑゐは、未婚のまま折口家に同居していたが、そのうちに秀太郎とユウのあいだに双子の男の子が生まれた。
双子の名は、親夫と和夫。この二人には信夫と同じ「夫」がつく。もしかすると、信夫の実母は、母とされるこうではなく、叔母のはずのユウではないのか。

以上、富岡多恵子・安藤礼二『折口信夫の青春』によった。次の引用も同じ。

 富岡 もし折口が、このお母さんの子ではなく、婿養子がほかの女と結ばれて生まれた子どもだとすれば、これは「折口」ではない。はっきり言えば、血統としては、どこの子かわからなくなる。それはやはり、この人にしてみれば、きついことだと思う。
 安藤 折口は「ホカイビト」といった存在にすごく共感しますね。
 富岡 そこにも何かあると思うのね。この人の家が、曽祖父、祖父、父親と一直線に続いていればいいのですが、途中では切れている。父親という人も、最初の養子先で失敗して、二回目の養子として折口家に入ってきている。折口がもし、河内の名主の子とどこかの女の子だとすると、折口の家系を問題とすることもできない。

「ホカイビト」は折口学のキーワードのひとつで、家々の門をおとずれ、ほかい(祝い)の言葉を述べてほどこしを受ける祝福芸人。折口はこの種の乞食とも放浪者ともいえる者らに自己のアイデンティティを重ねている(⇒「ごろつき日本史」)。
ほかい人には、どこかよそからやってきた者というニュアンスがあり、この点でも折口の自己認識と重なる。どこから来たかはわからないが、折口自身がよそ者なのである。祖父と父が二代にわたって養子であったこと、しかも、ともに失敗を経由した二回目の養子であったことは、折口の人格を危うくする不安要因というより、アイデンティティの強固なベースなのではないか。

自分がどこから来たかわからないという思いは、やはり折口ワードのひとつである「ははが国」につながる。
今でもなく、此処でもないどこか。実の母がいるはずのどこか。

富岡多恵子は、折口家に出入りしていた寅吉という芸者が信夫の実母ではないかという説もとなえている。
それもふくめて、こうは実母かという疑問は残るし、自身の書くものの中で折口は父母や兄弟への憎しみに似たものを表明してもいるのだが、それが家族関係の事実や内心を正直に語ったものか否かは断定できない。

母親の存在に手こずりながらも、表現活動ではさかんに使いまわして、自身のイメージ形成に役立てた寺山修司の例もある。

時には母の ない子のように
ひとりで旅に 出てみたい

寺山がカルメン・マキに歌わせた「時には母のない子のように」の一節。
母がいないかのように振る舞ってみたいのである。
一人で旅に出てみたいのである。
事実としてそうなのではなく、「みたい」のである。
母がいないという境遇を、さびしく味わってみたいのである。
母なるものの「用途」をつい正直に明かしてしまった歌といえないか。

先の引用にある「河内の名主の子」とは、折口の父・秀太郎のこと。
この、いったん養子先をしくじって、半分ルーツを失くしたようにしてやってきたよそ者が、折口家の女ではない女(たとえば芸者・寅吉)に生ませた子が折口信夫であるとすれば、折口の「よそ者性」はいっそう確からしくなる。
けれどもそれは、折口にはどうすることもできない客観的事実だったのか。
事実がどうであれ、折口が意図してつくり上げたフィクション、好みの自画像という面は残る。