ベンヤミンの歴史哲学を信奉するなら、ヒトラー、ムッソリーニの死も悼むべきであること
その時々の支配者とは、かつて勝利したすべての者たちの遺産相続人である。したがって、勝利者に感情移入することは、その時々の勝利者にとってはつねに好都合なことなのだ。これだけいえば、歴史的唯物論者にとっては十分だろう。今日にいたるまで、勝利をさらっていった者は誰であれ、いま地に倒れている者たちを踏みつけて進む今日の勝利者たちの凱旋行列のなかで、ともに行進しているのだ。 ――ヴァルター・ベンヤミン「歴史の概念について」VII
「歴史の概念について」(通称「歴史哲学テーゼ」)はベンヤミンの遺作。
1940年9月27日、ベンヤミン没。ナチスの追跡から逃げ切れないと見て、致死量のモルヒネ錠を服用しての自死。
この時点のヨーロッパにおける「その時々の支配者」=「勝利者」はファシズム勢力。
かつて支配者が手にしたあらゆる勝利に対して、疑問の眼を向けること ――「歴史の概念について」IV
「歴史の概念について」を通じてベンヤミンが述べたのは、歴史認識は勝利者の称揚や肯定ではなく、敗者の救済へ向かうべきであるということ。また、救済の能力はたとえ少しずつではあっても、われわれの誰にも与えられていること。そして過去は、われわれの持つ救済の能力を頼りにしていること。
したがって、ベンヤミンの歴史哲学を奉じるなら、われわれは無念のうちに倒れたベンヤミンの救済におもむかなければならないのだが。――
ベンヤミンは知ることができなかったが、彼の死から5年後、ファシズム陣営の敗北によってヨーロッパの勢力関係は逆転する。
1945年4月28日、ベニート・ムッソリーニは愛人のクララ・ペタッチとともにパルチザンに捕らえられて銃殺、その後、ミラノの広場で逆さ吊りにされる。
同じ1945年4月28日、アドルフ・ヒトラー、愛人のエヴァ・ブラウンと結婚。2日後、エヴァとともに青酸カリで自殺。
ムッソリーニもヒトラーも敗者として死んだ。
彼らの死についての論をベンヤミンから聞くことはできないが、われわれがベンヤミンの歴史哲学を信奉するなら、われわれは「地に倒れている者たち」に属すヒトラーやムッソリーニからも救済を求められていると考えなければならない。
引用は山口裕之訳『ベンヤミン・アンソロジー』から。
付。これもベンヤミンの知り得なかったことだが、彼の死と同じ1940年9月27日、ドイツ、イタリア、日本の三国が、ベルリンで軍事同盟(日独伊三国同盟)を締結。