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2019-08-28
永劫回帰論『天体による永遠』のエピローグで
永劫回帰論『天体による永遠』のエピローグで、ブランキ曰く、

私は決して自分自身の楽しみを求めたのではなかった。私は真理を求めたのだ。ここにあるのは啓示でも予言でもない。単にスペクトル分析とラプラスの宇宙生成論から演繹された結論にすぎない。上記二つの発見が我々を永遠にしたのである。それは思わぬ授かり物だろうか? それなら、それを利用しようではないか。それはまやかしだろうか? それならあきらめるほかはない。 ――浜本正文訳『天体による永遠』

それは思わぬ授かり物だろうか? それなら、それを利用しようではないか。
ブランキはこの書を、幽閉されたトーロー要塞の一室で綴った。
すでに老齢の60代半ば、イギリス海峡に望む岩礁に築かれた古い要塞で人生を終えることも覚悟しただろうブランキにとって、この書を仕上げたことは「思わぬ授かり物」であったはず。ならばそれを利用しようではないか、ここに示したものは啓示でも予言でもない、私はついに真理を究めたのである。すなわちこれを我が思想の到達点とし、遺著としよう。ただし――、現実のブランキはさらに10年ほど生き延びる。

それはまやかしだろうか? それならあきらめるほかはない。
永劫回帰は妄想の産物。
まやかしであることの自覚はブランキにもあり、その現れがこのセンテンス。
ならばそれはあきらめるしかない。