『経済学・哲学草稿』を雌型として、『三文オペラ』がそれに対応する雄型であること
国民経済学は、就業していない労働者、その労働関係の外部にいる限りでの労働人間を認めない。泥棒、詐欺師、乞食、失業者、飢えている労働人間、窮乏した犯罪的な労働人間、これらは国民経済学にとっては実存せず、ただ他の者の目にたいしてだけ、すなわち医者、裁判官、墓掘人、乞食狩り巡査などの目にたいしてだけ実存する者どもであり、国民経済学の領域外にいる亡霊たちである。 ――マルクス『経済学・哲学草稿』(城塚登・田中吉六訳)
ここでの主語は国民経済学。
この主語からはこれらの亡霊たちは見えない。彼らは存在するが存在しない。国民経済学にとっては実存しない。
数年後に書かれる『フランスにおける階級闘争』や『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』では、これらの亡霊はルンペン・プロレタリアと言い換えられる。
後発の論考での主語はマルクス。彼はルンペン・プロレタリアの存在を認めたくない。
けれども視界に入ってしまう。彼らはマルクスの史観や理念を否定する存在として現実場面に立ち現れ、(マルクスにとっては)反動的な役割を演じる。
マルクスは彼らを憎悪する。
あやしげな生計をいとなみ、あやしげな素性をもつ、くずれきった道楽者とならんで、おちぶれて山師仕事に日をおくるブルジョア階級の脱落者にならんで、浮浪人、元兵士、元懲役囚、徒刑場からにげてきた苦役囚、ぺてん師、香具師、たちん坊 、すり、手品師、ばくち打ち、ぜげん、女郎屋の主人、荷かつぎ、文士、風琴ひき、くずひろい、とぎや、いかけや、こじき、一口にいえば、あいまいな、ばらばらの、あちこちになげだされた大衆、フランス人がラ・ボエームとよんでいる連中、こうした自分に気のあった分子をもってボナパルトは十二月十日会の根幹をつくった。 ――マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』(伊藤新一・北条元一訳)
マルクスの『草稿』を雌型とすれば、ブレヒトの『三文オペラ』はそれに対応する雄型。
国民経済学からは見えないルンペン・プロレタリアが、『三文オペラ』の舞台では主役をつとめる。
冒頭のト書きに曰く、
乞食は乞食をし、泥棒は泥棒をし、淫売は淫売をしている。
殺人物語の歌手は殺人物語を歌う。
殺人物語の歌手は殺人物語を歌う。
「殺人物語」はドイツ語のモリタート(Moritat)の訳で、犯罪者の行状などを歌う大道芸。その歌手ならばやはり同じカテゴリーに入る。
要するに登場人物は裏社会の者ばかり、というのが『三文オペラ』。
警視総監も主要人物のひとりだが、警吏が賤業であるかは措くとして、この戯曲の警視総監は故買屋にして乞食ビジネスの元締めであるビーチャムとも、犯罪者の首魁にしてみずからも殺人をいとわないマクヒィスとも付き合いがある。それも敵対関係ではなく、友人として。つまりは、警視総監もふくめて裏世界の物語。
関連記事: マルクス、折口信夫、バクーニン、ブレヒト、四様の浮浪者観、とくにブレヒトの場合