演劇の文書化ということ
ブレヒトの『三文オペラ』では、(作者の指示や注意書きに従うとすれば)各場面のはじめや歌の歌われる前に、場面の説明や歌のタイトルがスクリーンに映写される。ブレヒトはこれを演劇の文書化 と呼ぶ。
意図の一つは役者に負荷をかけること。
次に起こることをあらかじめ知らされた観客の前では、お手軽な演技は通用しない。
講壇的劇曲論の立場から、脚本書きは自分の言おうとすることをすべて行動の中におさめてしまわねばならぬとか、文学はあらゆることを文学自体によって表現せねばならぬとか言って、まことしやかにタイトルに反対する者もいる。これは、物事の上に立って考えようとせずに、いつも物事から出発して考えようとする観客のある種の態度に相応するものだ。しかし、あらゆるものをひとつの理念に従属させようとするこの習慣、観客をダイナミックな、ただ一本の線に追いこんで、右も左も、上も下も見えないようにしてしまうことの病癖は、新しい劇作の立場からは拒否せねばならない。脚註とか比較対照表とかいうものを劇作にもどんどん取りいれるべきなのである。 ――ブレヒト「『三文オペラ』のための註」(千田是也訳『三文オペラ』所収)
意図の一つは役者に負荷をかけること。
次に起こることをあらかじめ知らされた観客の前では、お手軽な演技は通用しない。