わたしという偶然
物体は存在する義務を有してはいないが、存在する権利ならば有している。
小石のばあいであれば、われわれにとってそれだけで十分である。だが、われわれ自身となるとそうはいかない。われわれは、われわれ自身があらゆる時代をつうじて必然的・不可避的・整合的であってほしいと望んでいる。あらゆる宗教と、ほとんどあらゆる哲学と、科学の一部までもが、自分自身の偶然性を死にもの狂いで否認しようとする人類の疲れを知らぬ英雄的な努力の現れを示している。 ――ジャック・モノー『偶然と必然』(渡辺格、村上光彦訳)
小石のばあいであれば、われわれにとってそれだけで十分である。だが、われわれ自身となるとそうはいかない。われわれは、われわれ自身があらゆる時代をつうじて必然的・不可避的・整合的であってほしいと望んでいる。あらゆる宗教と、ほとんどあらゆる哲学と、科学の一部までもが、自分自身の偶然性を死にもの狂いで否認しようとする人類の疲れを知らぬ英雄的な努力の現れを示している。 ――ジャック・モノー『偶然と必然』(渡辺格、村上光彦訳)
わたしがたまたまそこにいるということ。
あるいは、ここにいること。
あるいはまた、どこにもいないということ。
それらのことは、どれもたまたまであって、そうなることが必然であったわけではない。
そう考えられれば楽だったのだし、それがたぶん事実だったのだが。
けれども、そうは人類は考えなかった。
自分を偽って生きてきたというか、勘違いして生きてきたというか、だからこそ人類は今日まで生き延びたという可能性もある。