唯物弁証法の起源はホモ・サピエンスの出現以前にさかのぼること
ジャック・モノー曰く、物活説の考え方は人類の揺籃期にまでさかのぼる、おそらくホモ・サピエンスの出現以前からのものだろう。――モノー『偶然と必然』
物活説とは、物には魂があるとする考え方。モノーの原文では animisme(アニミズム)。
われわれの先祖は、動物や植物を見て、それらが自分たちと同じ性質を持っていることを察知した。
植物は日光をもとめて成長し、やがて死んで子孫を残す。
動物は獲物を追い、子どもを養い、雄は雌をもとめて争う。
動植物のどちらも、そしてわれわれも、自らの死という代償を払っても子孫を残そうという目的を持っている。目的があるということ、それが生きるということの意味。意味のない生は考えられない。
ほかにもわれわれの祖先は、神秘的なものをいくつも見た。岩、川、山、嵐、雨、天体、etc.、これらの物体もそれぞれに目的を有しているように見える。そして目的の実現のためには、魂があるのでなければならない。川の深みや山の頂にはさらに霊妙な魂が住んでいて、人間や動物のもつわかりやすい目的より、はるかに測りがたい目的にむけて動いている。
モノーによれば、人間にいたる生物圏の進化を、素粒子から銀河系にいたる宇宙全体の進化の一部であるとする普遍的理論への志向は19世紀の科学的進歩主義の中心観念で、これは上で見た物活説の考え方と同じ。
19世紀の物活説のうちでも最も有力であったのがマルクス=エンゲルスの唯物弁証法。
モノーの論をつなぎあわせると、マルクスらの科学理論もホモ・サピエンスの出現以前にさかのぼるわれわれの勘違いの一環ということになる。
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物活説とは、物には魂があるとする考え方。モノーの原文では animisme(アニミズム)。
われわれの先祖は、動物や植物を見て、それらが自分たちと同じ性質を持っていることを察知した。
植物は日光をもとめて成長し、やがて死んで子孫を残す。
動物は獲物を追い、子どもを養い、雄は雌をもとめて争う。
動植物のどちらも、そしてわれわれも、自らの死という代償を払っても子孫を残そうという目的を持っている。目的があるということ、それが生きるということの意味。意味のない生は考えられない。
ほかにもわれわれの祖先は、神秘的なものをいくつも見た。岩、川、山、嵐、雨、天体、etc.、これらの物体もそれぞれに目的を有しているように見える。そして目的の実現のためには、魂があるのでなければならない。川の深みや山の頂にはさらに霊妙な魂が住んでいて、人間や動物のもつわかりやすい目的より、はるかに測りがたい目的にむけて動いている。
物活説の本質的な思考法は、人間が自分自身の中枢神経系の強烈なまでに合目的的な働きについて抱いている意識を無生物の自然のなかに投影することである。言いかえれば、自然現象は窮極的には、人間の主観的・意識的で目的をもった活動と同様な仕方、同じ《法則》によって説明できるし、また説明されねばならないという仮説なのである。 ――渡辺格、村上光彦訳『偶然と必然』
モノーによれば、人間にいたる生物圏の進化を、素粒子から銀河系にいたる宇宙全体の進化の一部であるとする普遍的理論への志向は19世紀の科学的進歩主義の中心観念で、これは上で見た物活説の考え方と同じ。
19世紀の物活説のうちでも最も有力であったのがマルクス=エンゲルスの唯物弁証法。
モノーの論をつなぎあわせると、マルクスらの科学理論もホモ・サピエンスの出現以前にさかのぼるわれわれの勘違いの一環ということになる。
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