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2020-01-22
何のための作為か、「血かたびら」の平城天皇像
平城天皇が即位した大同元年は、日照りも水害もなく、民は腹を叩いて豊年を楽しんだ――と上田秋成の「血かたびら」は言うが、これは史書の伝えと逆。史書には、日照り、水害、凶作、疫病の記事が頻出する。
平城天皇は「善柔」の性格であった、すなわち善良で柔弱だった――とするが、これも伝えと正反対で、史書からうかがえる平城は、智謀があり、疑い深く、狭量という。(日野龍夫「秋成の歴史意識」)

平城は在位3年で弟(嵯峨天皇)に位を譲り、奈良に引退する。
侍臣の藤原仲成とその妹薬子は平城の復位を企てて兵を挙げるが、仲成は首を取られて梟首され、薬子も切られて死ぬ。
薬子の血がふりかかった几帳はぬれぬれと乾かず、若者が弓で射ても通らず、剣で撃てば刃が欠けた。これが「血かたびら」という題名の由来。
兄妹の死因にも秋成の作為があり、史書では仲成は射殺され、薬子は毒をあおいで自死。
挙兵のことを平城は知らず、ただ「あやまりつ」とだけ言って出家した。

上田秋成は故意に史実を錯乱させて、歴史を書き換える。
『春雨物語』冒頭の「血かたびら」もその一つ。
秋成が歴史の天使であったとしてだが、彼は誰を救おうとしたか。
タイトルからすれば薬子が救済の対象だが、作中で終始同情的に描かれているのは平城天皇。
けれども、同情に値する「善柔」の人物像は、秋成が偽りを自覚して造形したもの。