歴史の毒と物語の毒
どちらの歴史作法も虚構を手段とする点で、上田秋成とベンヤミンは似ている。
両者の違いは、ベンヤミンが自身を歴史的唯物論の陣営に位置づけながら、歴史を虚構によって書き換えようとするのに対し、秋成は自身の作法が虚構であることを自覚し、表明もしていること。
上田秋成の歌論的掌編「うたのほまれ」を論じて、野口武彦いわく、
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両者の違いは、ベンヤミンが自身を歴史的唯物論の陣営に位置づけながら、歴史を虚構によって書き換えようとするのに対し、秋成は自身の作法が虚構であることを自覚し、表明もしていること。
上田秋成の歌論的掌編「うたのほまれ」を論じて、野口武彦いわく、
歴史という毒を制するもう一つの毒、すなわち物語の毒 ――野口「歴史の落丁と物語の乱丁」
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