zakki no.20 by mataji

[2022.1.25 - 2022.2.28]
銀白色、パール波、氷河石、その他すべての空の色
小川の底に蒼い破船の残骸
モス・イーターの大蛇
ねじれの木のどす黒い枝から落ちて
そこにいるのは誰? 私ことは猿の冬

2022.2.28 mon. link

昨夜の mataji-bot は「それからの音叉と音響の日々」。


さあさあ、そこの人たち、次の音叉を包んだ包んだ。

ミミズクの国の録音装置
ある夜更け、山麓の宿舎で耳を傾ける各国政府
それからの音叉と音響の日々

bot の選択は偶然。
なのに、目下の世界情勢と我が個人的指向を示唆しているかに見える。
占い師の占い、占星術の指し示すもの。
占いが当たるように見えるのは、占ってもらう側の暗黙の(無意識の、迎合的)協力によって。

2022.2.27 sun. link

時間をおいて見ると、出来上がってるようにも見える。
2022.2.18
「東洋の悪徳か」を「オリエントの悪徳か」にして、最後の行を多少工夫するくらいでどうか。
――――

2022.2.25 fri. link

物語の需要。平時と乱時。
日常体験できない世界に物語は人をつれていく。したがって、物語には虚構が要求される。だが、――

事実そのものの迫力によって圧倒されている内乱期の人々の物語に対する要求は、当時の日本人が、その片鱗だけをそれぞれ経験したさまざまな諸事件を、一つの統一された物語的な連関のなかにおいてもらうことであったろう。つくり物語はもはや必要でなくなって、かえって事実そのものの記録が要求される時代である。正確にいえば断片的、記録的なものを物語または文学に高めることが、読者の物語に対する新しい要求となったということである。この物語は、もう『今昔物語』のような説話の断片であってはならないだろう。それは地方々々、階層々々が、孤立して存在した時代の文学的遺産である。新しい物語はこの時期の諸事件の一切が集約されている軸とかんがえられた平氏の滅亡を中心として、すべてが展開される物語でなければならない。 石母田正『平家物語』

2022.2.23 wed. link

批評より再話を。読んだ話を繰り返す。不確かなままでいい。 ――oi-quot no.11


まじめさの方向。

だけどサーミテージ、西部の宿場町。
要スケッチブック。
明治と聞いて熱くなったアサリ、ハマグリ。

2022.2.22 tue. link

院政時代からはじまる変動と内乱の時期は、一方ではそれに踏みつぶされる多数の人間を生むと同時に、他方ではのし上ろうとする亡者どもをこれまた無数に生み出す。いずれも不思議な方法によってその運命と未来を予見したいという衝動に駆られている。これらの人間を餌食として神々とその所領は肥えていったのであって、単純に「信仰深い中世」だけを念頭においてはならない。 石母田正『平家物語』(岩波新書)

上賀茂社に参籠した新大納言成親が、夢に現れた神から「桜花賀茂の川風うらむなよ散るをばえこそ留めざりけり」と歌の形で託宣を得た話が『平家』にある。
これにつき石母田、「成親の未来を予言したつもりのこの和歌の下手さ加減を見れば、神々のお里もおおよそ知られる」。名指してはいないが、賀茂社周辺から出たプロパガンダが『平家』に取り入れられたとの意だろう。予言で神々は肥え太る。

2022.2.21 mon. link

窓が乾いて、目の前で
気まずく停止した彼女の袖
部屋の片側で、視線を落としながら
私は古い曲を聴き終え
さらに少し、私には古い、少し夕方の錆びた針

誰もが喩える古窓に似て
代わりに、その手で、その者と
代わりに、その手で、その者と|mataji|note

この場の主体らしき人物が音楽を聴き終えたところという。
次の行に「錆びた針」とあるから、レコードを聴いていたことになる。

これが抒情詩であること。
情緒の排除ではなく、情緒の制作。

2022.2.20 sun. link

都でクーデター。
難を逃れて奈良を目指した信西しんぜい入道は、山城と伊賀の境あたりで逃げ切れないと察し、入定を決意する。
入定とは高僧の死のこと。
連れてきた四人の武士と成沢という舎人に命じて地面に穴を掘らせ、四囲を板で囲った穴に入る。
竹筒を口にあてて息ができるようにした上で、穴にふたをさせる。息の続くかぎりは仏の名を唱えようというのである。
武士と舎人の成沢は都に向かうが、途中で成沢が追手につかまる。
成沢が白状して、信西は生きたまま首を取られる。
首は都大路をわたされた後、河原で獄門に掛けられる。

『平治物語』の作者はハードな目を持っていると草森紳一の弁(link)。
で、読んでみた。たしかにハードボイルドらしくはある。加えてスラップスティックでもある。

平治の乱は、京都を舞台にした後白河院政下の権力闘争。藤原信西・平清盛 vs. 藤原信頼・源義朝。
平清盛が熊野詣でに出かけたすきを突いて信頼・義朝がクーデターを敢行、上の抄出で見たとおり信西の首を取るが、その後は清盛に巧妙に立ち回られ、最終的には軍事で敗亡。
『平治物語』によると、東国に落ち行く義朝に信頼が追いついて同行を頼むと、義朝は「日本一の不覚仁(人)、かかる大事を思い立ちて、我が身も損じ、人をも失わんとするに、憎い男かな」と鞭で信頼を打ちすえた。
置き去りにされた信頼は、落武者狩りにあって身ぐるみはがされ、仁和寺に身を寄せるも平家勢に引きずり出されて六条河原で斬首。切り手の技量がつたなく、身体を押さえつけて掻き首にされたという。
信頼を置き去りにした義朝も、東国へ下る途中で家人の裏切りにあい、湯殿で殺害。

平治の乱は清盛の一人勝ち。
源氏の嫡流義朝を倒して軍事的覇権を握っただけでなく、味方の信西が殺されたのも幸いで、自分の頭を抑える権力者を敵の手で消してもらったことになる。

2022.2.18 fri. link

黒死病?
怒りで真っ赤になって、燃えて灰
これがその灰か
それなら黒死病ではない

東洋オリエントの悪徳か」
と誰かがきいてくる
そうかもしれないな

死んだ男のベッドが元の形で残っている

2022.2.17 thu. link

マンハッタンの地下で行方不明になった牛の群が百年ぶりに姿を現す。
どうだ、バイデン。…

紐でつないだもの
紐でつないだ松葉杖
紐でつないだギロチン
紐でつないだ国民の声
紐でつないだ酔っ払いの群、牛も
紐でつないだ血液検査


フランダースの犬を探して五年十年
おーい、パトラッシュ


これで完成ということにして note.com にポスト
雑詠|mataji|note

2022.2.16 wed. link

下を通る男や女にむかって
「警察を呼ぶよ」
と声をかける
驚いて象がこちらを見上げる
象だったのか
象だったらしい、鼻が長い

――――
この風の音や、とうにおれは目のふれあう音を
耳にすると、じつに馬鹿らしい
――勝四郎がきいた梢で、返事がないよ|mataji|note

2022.2.15 tue. link

叙情の発見。否定ではなく。

2022.2.13 sun. link

壁抜け男のことは誰もおぼえてない
地味なやつだったからな
まったくの無名だが、名はデュチユール
無名だが名はあったのだ
でも、つかみどころはない
幽霊みたいな存在、それゆえの壁抜け男

デュチユールは生きている。彼の消えた現場を夜更けて通りかかるなら、人は吹きすさぶ風音のようなものを聞くことがあるだろう。それは思いがけず塗り込められた壁の中で、輝かしい人生の終わりを嘆き、短かすぎた恋を悔しがる狼男デュチユールの泣き声なのである。――と聞かされてたが…

犬が吠え、水の流れる音がする
今は名を変え、ところもメキシコ
生き延びたんだよ、俺たち
パリだったか、どこだったかの壁から抜け出て

2022.2.12 sat. link

注文の多い料理店の前で
入ろうか、入るまいか
壺の中のクリームを、RESTAURANT 西洋料理店
ぼくもそうだ、WILDCAT HOUSE 山猫軒
けしてご遠慮は、ネクタイピン、カフスボタン
眼鏡、財布、その他金属、なかでも黒塗りのりっぱな金庫

頭に浮かんだら、その場でメモする。
二度ともどってこない、そういう単語やフレーズがある(はず)、推敲はあとで。
そもそも推敲は必須か。
しなくて済むなら、しないのがいい。
「どうもそうらしい」
「そうだ、きっと」
二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、それからどたっと倒れるだろう。
「遁げ……」

ものになりそうもない。保留。

2022.2.11 fri. link

詩人Aが、詩人Bの詩の一部を引用したとする。
このとき、この引用された部分は、もうBの詩ではない。
切り取られた詩は、詩人Aの意図によって切り取られたのであり、Aの詩なのである。
引用のこのような側面を断章取義という。

辞書上での断章取義(だんしょうしゅぎ)。作者の本意や詩文全体の意味に関係なく、その中から自分の役に立つ章句だけを抜き出して用いること(断章取義とは - コトバンク)、など。
コラージュにおけるアイテムの扱いがこれ。章句を元の文脈から切り離し、見かけの意味だけを採って別の文脈に置くこと。

泉 (デュシャン) - Wikipedia

2022.2.10 thu. link

ぶらぶら歩きの殺意。

主人公の「俺」は、ぶらぶらと農場へやってくる。このぶらぶらというしぐさの中に、殺意はすでに胚胎しているのである。無作為の殺意というべきものである。この農場にいる牛は「国家健康牛」というやつで、国家の保護のもとにのらくら生きているいるのである。「眼鏡の牛よ」と「俺」が呼びかけた時は、一見、ざっくばらんな愛情をこめた言葉のようではあるが、そうではなく、殺意と嘲笑をこめた呼びかけでもあるのだ。
草森紳一「なんて幸せな御時世だ」(『ナンセンスの練習』所収)

ジョン・レノンの The National Health Cow(国家健康牛)という詩について述べた一節。
いまここにやってきたこの俺のぶらぶら歩きにたまたま殺意が胚胎してるのか、それともぶらぶら歩き一般に殺意がはらまれてるのか。
後者と考えたい。ぶらぶら歩き一般に殺意が潜んでいる、と。

2022.2.9 wed. link

昨夜の mataji-bot

道楽もたいていやりつくして
最後に地面へ飛ぶのだが
大火の晩に、 たびたび劇場へでかけては
いろいろいろな見世物を、 かたっぱしから見てきたお陰か
天高く何があろうと
おなじ側のおなじ曲乗り
天高く何があろうと|mataji|note

あらかじめ何か表現したいことがあって書くのではない。
そんなものはなくてもいい。
なるほど、そういうことだったのか。と、書き終えてからわかる。
ははあ、この男、道楽をやりつくしたあげくの飛び降りか。けっこうなことですな、と。
ところが、道楽のうちには芝居見物もあって、気がつくと、飛び降りるかわりに宙乗りをやっていたのです、と…

2022.2.8 tue. link

ヲンナノ髪ニ昨夜ノ新月ガ引懸ツテトレナイ。
オンナノ腋毛ワキゲハ飴色ノ腋毛ダ。

窓ノ港ニハ白イパイロット・ボオトガ揺レテヰタ。
フタリハ急ニ悲シクナッタ。

日本ノ軍艦ガ遡航シテ入港シタ。午後三時。
――トウトウ駆逐艦デ追ツカケテ来タワヨ。
近藤東「逃亡」

こんどう・あずま。上海あるいは仮想の都市を舞台とし、近代市民のシニカルな視点をカタカナ書きやシナリオ形式といった衣裳的都会性で表現し、典型的なモダニズム詩人(村野四郎による)と評価される。(Wikipedia

上海、満州、出口、逃亡。モダニズム。
本来求められたのは具体的などこかではなかったのだろう。
上海 あるいは 仮想の都市。

2022.2.7 mon. link

後白河院を「流行歌狂い」として、堀田善衛が言うには、

宮廷が流行歌のパトロンとなるということは、しも庶民の芸能を愛し、と解すれば聞えもよかろうが、それは逆に言えば社会の上層部が精神的に貧しくなり、文化創造の力がなくなって来ていることを意味することまでを否定し去るものではない。定家の生きた時代は、そういう文化危機の状況にあったのである。
堀田『定家明月記私抄』

芸術は尊ぶが、芸能は苦手。
堀田は『広場の孤独』でも、「星の流れに身を占って」という歌謡曲のフレーズをあげて、こんなものを人々は好むと嫌悪の口調で言ってなかったか。

声に出せば消えてしまう今様を、後白河が『梁塵秘抄』という目にみえる形にしたように、院政期には音声を書記化・記号化する動きが活発になった。和歌も本来は声に出して詠ずるもので、音声によって神仏と交感する芸能であった。それを勅撰集や百首和歌の形に書記化したのである。音楽でも、『龍鳴抄』のような楽書や『管弦譜』『三五要録』『仁智要録』のような楽譜が作られ、音声を書記化・記号化するようになった。
坂井孝一『承久の乱』

2022.2.4 fri. link

「兵隊ではなく、人間というつもりだったのだろう。臆病者の考えることだ。人間がいるから、コレラが育つのだ。コレラをなくすためには、人間をなくしてしまえばいい」
「P町に行くのだ。津村中佐、P町に行くのだ」と閣下が刀のサヤで中佐の古靴のカカトをたたいてわめいた。
「閣下、ご心配なく」
「心配だよ。おまえたちのいうことを聞いていると、心配しないわけにはいかんじやないか。わしは、国に帰つて、金魚をかわなけりやならんのだ」
安部公房「変形の記録」

昨夜、寝しなに読みかけた安部公房の短編から。
詩ではないだろうか。しかも、上等な。
前から思ったり言ったりしてきたが、小説から一部を切り出すと、それだけで詩になる。
ということは、小説は詩をふくんでいる。内容としてとか、意味においてとかではなく、単純に、量的に、数行、数十行のブロックとして、あるいはもっと短くフレーズとして、詩をふくんでいる。「変形の記録」は400字詰めで40枚あまりの短編だが、数十編の詩は切り出せそう。

詩より小説が偉い。単純にはそうなる。

2022.2.2 wed. link

人が壁を通り抜けるという話は、いつごろどこの文化圏で生まれたか。
または、マルセル・エイメの「壁抜け男」は『聊斎志異』にある「労山道士」をヒントに書かれた作ではないか。


フランス語版 Wikipedia の『聊斎志異』の項に、フランス語への翻訳として上の記事あり。
19世紀末から20世紀にかけて『聊斎志異』の仏訳が進んでいたのがわかる。ただし、「労山道士」が含まれていたかは不明。
「種梨」とあるのは、道に植えた梨の種から見る間に幹が伸びて、たわわに実った梨を道士は人々にわけてあげました、という日本でも知られた「魔法の梨の木」の原題。

関連記事: 2022.1.232022.1.272022.1.28

2022.1.31 mon. link

誰かが面白いと思ってくれたんだ、という事実 ――滝本誠『渋く、薄汚れ。』あとがき

2022.1.30 sun. link

昨夜の mataji-bot は「夢の中で? 誰かが何か」

〽往来にさしながら、往来にさしながら
 その上に、もう気の早い蝙蝠が
 二、三匹ひらひら舞っているくらいなら

忘れていた流行り歌。

2022.1.28 fri. link

アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」粗筋。

オノレ・シュブラックが擬態の能力に目覚めたのは25歳のとき、恋人の部屋で。
二人が裸でいるところに、恋人の夫がピストルを手に現れる。
シュブラックは怖さのあまり、壁に溶け込んで姿を消したいと願う。すると、その願いどおりのことが起きて、シュブラックの身体は壁紙の色に変わり、手足はおどろくほどに延び広がって壁と合体してしまう。擬態が起こったのである。
間男の姿を見失った夫は、妻の頭に銃弾6発をすべて撃ち込んで部屋を出ていく。

以来、シュブラックは夏も冬も素肌の上に簡素な衣類を引っかけただけで過ごし、いざとなればそれを脱ぎ捨て、壁に擬態して夫の追跡を逃れてきたが、ついにある日、自分が溶け込んだ壁に向かって6発の銃弾を撃ち込まれてしまう。
6発のうち3発は、人間の心臓の高さとおぼしきところを撃ち抜き、残りの3発は、ぼんやり顔の輪郭が見分けられるあたりの壁に当たっていた。以後、シュブラックの姿を見たものはいない。

2022.1.27 thu. link

マルセル・エイメ「壁抜け男」の粗筋。

デュチユールは登記庁の下級役人。34歳。
ある夜、彼は鍵を使わずにアパートの部屋に入った自分を発見する。壁を通り抜けてしまったのである。
心配になって医者に行くと過労による症状との診断で、1年に2包の割で飲むようにと薬が出る。デュチユールは最初の1包を飲むと、残りは引き出しにしまって忘れてしまう。
新しく来た上司に嫌われるデュチユール。
上司の隣の部屋の壁から首だけ出して、怖がらせるデュチユール。「狼男」と名乗って、脅し文句を述べたりもする。
脅しを繰り返すデュチユール。ほどなく精神病院に送られる上司。

自分の能力の使いみちに目覚めたデュチユールは、手はじめに大銀行の金庫に忍び込み、ポケットに紙幣を詰め込んで立ち去る。現場の壁に赤いチョークで残された「狼男」の署名。
銀行、宝石店、富豪邸で繰り返される盗み。わざと捕らえられて入った刑務所からの脱出。有名なダイヤモンドが盗まれたり、中央銀行が破られたため、内務大臣が解任され、巻き添えで登記庁の長官も馘首。

女性運も訪れる。
嫉妬深い夫に監視されている美女との出会い。夜が更けるの忘れて愛し合う二人。
繰り返されるランデブー。そしてある朝の帰り道、壁を抜けようとしてふと感じる抵抗感。壁は急速に粘りを増し、彼は壁に閉じ込められてしまう。アスピリンと思い込んで飲んだ薬が、以前に医師から処方された薬だったことにデュチユールは思い当たる。その薬が過労に効いて、壁を通り抜ける能力が消えてしまったのだった。

デュチユールは生きている。彼の消えた現場を夜更けて通りかかるなら、人は吹きすさぶ風音のようなものを聞くことがあるだろう。それは輝かしい人生の終わりを嘆き、短かすぎた恋を悔しがる狼男デュチユールの泣き声なのである。

2022.1.26 wed. link

「新・アフリカの印象」解読機の作り方 - Three Inventors: Jean-Pierre Brisset, Raymond Roussel, Marcel Duchamp
――――
昨夜の mataji-bot は「クエビコ」

そしてまたも信州の一角でパルチザン発生の報。
駆けつける近隣の駐在所員たち。
「三度目は喜劇かね、惨劇かね」
襲いかかるブルドーザー。
……

駐在所員の装備を書き込みたい。ピストル、警棒、自転車等。

2022.1.25 tue. link

今月はじめに書いたメモ。すでに意味不明。

もうひとりの壁抜け男。
「いざというとき、さっと脱げるようにだ」
それにしても、どうしてそんなに素早く服を脱がなければならないのか。
まあ、いいか。すでに結果は出てるだろうから。

最年少の若さの探偵。←タイトルにどうか

わたしは義理の人なので、
カニチとは、かの新人が直面した地をいうか…

もうひとりの壁抜け男とは、アポリネール「オノレ・シュブラックの失踪」のオノレを言うのだろう。
オノレのことを下敷きか、きっかけにして、「最年少の若さの探偵」という詩、あるいはなんらかの形の断章を書こうとしたのだろう。
そのへんまでは思い出せるが、終わりの2行はまったく不明。そこが肝心なところだったのだろうに。

肝心なところを欠いたままでも、このメモ自体を作品と見る(言い張る)ことができるのではないか。
できるな。そのような場あるいは文脈を用意すれば作品になる。