zakki no.21

[2022.3.1 - 2022.4.30]

2022.4.30 sat. link

赤い部屋を見に行く。
部屋だから、内側からしか見えない。
もとは黄色い部屋だったという。

黄色い部屋はいかに回想されたか

焦点ということ。
スポットライトのあてどころ。
じっさいに舞台で起きていることと演出のずれ。

2022.4.29 fri. link

淡々とした表情で、口元に
適材適所の笑いを浮かべ
弥次郎兵衛と呼んでくれ
笑い笑顔で呼んでくれ|mataji|note

作るところまではできている。

2022.4.28 thu. link

30年の昔ということ。
つげ義春が井伏鱒二を読みはじめたころ、すでに井伏は古典だったのだろう。少なくとも、つげにとっての井伏は。

トキヤガンバラ、貰い人
これも呪文めいてる

姓は小ッ手、名は修
同様ニシテ四海一成
妾の揚ゲケル玉ヲシテ玉川砂利ヨリモタク妾の投げ銭ヲシテ深川ノ薮蚊ヨリモタク電信ノザリテツヨリモナガク知恵の整理ハ雨夜鼻火ヨリ小ナク痕跡見苦シイハオリスケノ
世人ヲシテダレテ言葉ハズシテ惘レシム
シンタクノマチケンツハゴンズマヲユウキフルヤ
痴呆の心ハ日ニ利益増シテオリ
開運々ンデ家族レア、販促ノ一紙ニ憐れみ乞食、自分を呼ぶ、死んだボスハ、テニ、ノン、ゼッド
トキヤガンバラ、貰い人

漫画にできないか

2022.4.27 wed. link

小川が止まってる、日差しのせいで
ガイドか夏か、移動した夏か、誰が夏を作ったか、マッチが歪んでスケーターフライが生まれる墓標、フォアコーラスへの旅、襟は首の内側に厚く、婚礼のボックスガードとそれを打つグリース、洗いざらした紙の丘、悲惨なポーチのスライドを待って
ロード・ザ・スケート・レイン・シーザーズ・ザ・グレイヴス
ノー・ビー・ファイアーバグズ・ア・サッシュ・マイ・ヘア・アローン
イン・ザ・イズ・ナイス・パドリング
誰かが訪れたリゾート地の
夏めいたポーチの前に
午後、並んだ家族を日が映し出す
――誰かが訪れたリゾート地の夏めいたポーチの前で|mataji|note

どうしたら人に読んでもらえるか。
セディノット、スアドロム・アイル
どうしたら呪文みたいに唱えてもらえるか。
オーディオ化?
声をでかくという意味でならオーディオ化だが。

ハタスリコ!

子供がおもしろがって何か言う。
その何かが親から知り合い、世間にまで広まって、すばらしいですね、子どもは天才! となるわけではない。

2022.4.25 mon. link

セディノット、スアドロム・アイル
セディノット、スアドロム・アイル
セディノット、スアドロム・アイル

呪文に使える

セディノット、スアドロム・アイル|mataji|note

2022.4.24 sun. link

義弟が高跳び。棒高跳び?

権三郎が時計を巻いている。
巻くのか?
巻くよ。
日光節約時間の開始に向けて、
今日がその日で、今年五月の最初の日曜日。
ネジを巻き終えたら、きっかり針を一時間進めておくように。

時のすきまにはまったか、
いまだ義弟の行方は知られず。

done
義弟が高跳び|mataji|note

2022.4.23 sat. link

壁抜け男のこと
影響関係があるとすれば、中国→フランス

中島隆博が『荘子』を論じた書は版切れらしく、どこの書店にもなし。地元図書館にあり、借り出す。(追記: その後、『荘子の哲学』と改題され講談社学術文庫に)

なぜ中国人であれば、壁を通り抜けることができるのか。それは、中国人が他なるものになりうるからである。中国人は、動物になり、花や岩になり、さらには知覚しえぬものになる。そうなることで、中国人は、キリストでさえ通り抜けることのできなかった壁を通り抜けることができる。こうしてドゥルーズは、自らの生成変化の思想の具体的な姿を中国人に託していく。 中島隆博『『荘子』――鶏となって時を告げよ』

ドゥルーズは難しそう。
別の糸口に出会うか会えないか、機会待ちということに。

2022.4.21 thu. link

孫引きの脇引きみたいなものだが、「壁を通り抜けること、たぶん中国人ならできる」と『千のプラトー』にあるという。
千葉雅也が中島隆博『『荘子』――鶏となって時を告げよ』を論じた「エチカですらなく」による。書評集『意味がない無意味』所収。

フランスの壁抜け譚が『聊斎志異』由来である可能性。
――2022.2.2

2022.4.18 mon. link

こんなやつは縞にしておけ。
縞にする / 縞にされる、われわれの目から逃げられないように。
時間 / 空間、間近で監視するために。
たとえて言えば、黒い立木が縞になって、後へ後へと飛んでいったように、走って逃げても縞になる。
……
翌朝、縞化したまま目がさめる。
いつまでも縞が解けない。 done

2022.4.16 sat. link

名は村山十吉
住み込み先は鶴巻町37番地、石川方

語り手が石川方をたずねるとそこは質屋で、村山は失踪したという。去年語り手と出会った晩のうちに、血だらけの顔のまま仕入れ物の買い入れ金を持って消えたらしい。
酔って帰る道で、語り手は「もし、もし、きみ」と声をかけられる。
村山だ。村山十吉の声だ。
「……僕の顔は血だらけになってませんか?」
と村山が言う。いや、言ったのは私か。
ほかでもない私があの村山十吉だったのか、あの晩、血だらけの顔で現れた質屋の番頭の。

井伏鱒二「夜ふけと梅の花」を要約

2022.4.15 fri. link

知り合いのミイラか、知らない人のミイラか
ミイラの巻き布を解きかけたところに
玄関のノッカーが鳴って
またか
いつになったら、調査に専念できるのか
そう言ってるまに、またもノッカー

――と書きかけて、あと一、二行かと思ったが、別のミイラができたのでそちらを投稿
ミイラの夢、ミノルとキノルの|mataji|note

done 内にも外にも|mataji|note

2022.4.14 thu. link

今日。
涙の欲望の背後にあるリングの世界、それ?
そして、吐き気を催し、
濡れた犬にワンオシレーターホロ。

大の月、小の月。
孔雀の手の卵、偽の卵菌。

別の日。
カミマチックの塚、バッククロスの子。
私は鳥の猿の雨。
done 大の月、小の月|mataji|note

推敲すればするほど駄目になる――という過程。
推敲、じつは無難化。
サディスティックに、暴力的に。

歌え、毒キノコ! あなたはずっと私たち。
そこのキノコ、毒キノコ|mataji|note

2022.4.13 wed. link

旅先の島で少女に呼び止められる。
「われこそ、めっかちのくせに!」
「僕は決して、めっかちなんかじゃないと思います」
「われこそ、この財布を落としたろうね、めっかち! よべど叫べど筒ぬけするようなその気がわたくしにはわからん。して、躍起にならずに泊らんかね。十分かくまってあげましょう」

井伏鱒二の短編「言葉について」はそんなふうにはじまる。
少女が財布を拾ってくれたのである。
語り手は、少女に連れられて行った宿屋兼置屋の部屋でうたた寝をし、湯を使い、夕飯を終え、散歩に出る。9時過ぎてもどると、少女は部屋で宿題の裁縫をやりかけたまま、修身の教科書を読んでいる。明日までに第21課を暗記しておかなくてはいけない。
少女は15歳だが、小学校4年に在籍。この店に売られてくる前は6年だったという。

話しながら少女は寝間着だけになって語り手の布団に入ってくる。
宿題をしなくていいのかと語り手はきく。
「お客さんが寝てから十分かくまっておいた後で、裁縫の宿題を縫うのじゃ」
「第21課の暗唱もできなくちゃ駄目だね」
少女は黙読をはじめるが、しばらくすると眠り込む。
それを見て、語り手も眠ったふりをする。

やがて目をさました少女は、語り手に気を使いながら起き出して、宿題の裁縫をはじめる。
以上、前半。

2022.4.5 tue. link

このごろのことなのか、今朝だけのことなのか、夢にリズムがあって。
イメージではなくて、リズム。
テキストのリズムで夢を見ている。
いや、イメージがリズミカルに展開してたのか。
はや、思いだせなくなってるが。

その巨大で悲しげな目、ネズミ穴の白熱して溶けた中心――ある SF の一節

中橋英太郎といえば、今を時めく出世頭の一人
海外貿易や興行物ですごい儲けをあげているという評判の旦那
ずっしり重い行李の中身

夢からさめて時間がたってしまった。
どんな夢だったのか。
七五調とか、七七とか、八八とか、あるいは、それらをどう崩すか、どう避けるかとか、そういった字句レベルのことはこれまでも意識してきたが、その上位レベルでのリズムといったようなこと――の夢だったのだと思う。

2022.4.4 mon. link

洋式便器のごときもの。

Fashion Press on Twitter

2022.4.2 sat. link

北村想『怪人二十面相・伝 PART II』を再読。
読みはじめてまもなく、犀。

 これは、これは何処かで見たことがある。
 ……眼を閉じると、東京の真ん中だというのにひゅーひゅーと海鳴りが聞こえてくる。平吉は巨大なセメントの黒い塊を凝視した。今にもその塊がむっくりと動き出すのではないかと思えるのだ。
 ……犀だ。……犀を見たことがある……。

平吉は犀を見たことがあった、前作『怪人二十面相・伝』においてである。
わけもなく彼の視界に現れ、そのまま去っていった犀。
前作のうちでも最も印象的な場面だったが、作者にとっても同じだったらしい。だから、『PART II』でも早々に犀のイメージを出したのではないか。いや、湧いて出たというべきか。

2022.3.31 thu. link

忘れられた過去と既知の未来
どうする?
どうするって、どんな防御もいずれ崩れる
人は地表を逃げ回る

自動生成ということ。

兄が妹に幾何の教科書を送る。アパートのバルコニーに紐でぶらさげておけとの指示を添えて。
雨にさらされ、風にちぎられて教科書はぼろぼろに。
その残骸に名をつけて、「マルセルの不幸なレディメイド」。マルセル・デュシャンの作品のひとつという。

2022.3.30 wed. link

Oh, good eveninkle, I'll man's road evening
Ooh, goingmand
Ooh, I'll my he evening

おお、いい晩だな、夕方の男の道だ
おお、行け行けデマンド
おお、私は私の彼は夕方

または殺人者のようなもの|mataji|note

2022.3.28 mon. link

人を信じる。
円月殺法で人が斬れるか、斬れないか、などと考えてはいけない。
必ず斬れると信じて斬る。
作者が信じてるから、狂四郎に迷いがない。

2022.3.25 fri. link

去年の秋のことだが、「ユーカリの森の弁証法」と言っている。link
どういう意味だったのだろう。

同じ頃。詩を書くのは簡単と言って、次の例があげてある。link

あのな、チャーリー
そう心配するな
会計係はいないも同然
パーカー博士も知るはずはない
闇夜の口笛、な

センテンスを改行で短く区切ってやれば、それだけで詩が現れる。
だから、信じて行え、と。

2022.3.24 thu. link

ユーカリの葉を食べた。コアラみたいに眠りたい。

東池袋の公園で救急車に拾われたわたしが、寝台の上でもがきながらそう言ってるという。ほんとうだろうか。
コアラみたいって、コアラかよ俺、とも思う。
いずれにしろ、多少の精神錯乱を伴う食中毒であるらしい。

いったいわたしは何を食べたのだろう。
ユーカリの葉でも食べたか。

旧版: ユーカリ中毒 - Magazine Oi!

2022.3.21 mon. link

どんな業種の業界もありうる
たとえば三日月業界
名前だけの三日月ではない
三日月をあつかう業界なのである
族長、君主、聖職者
族長、君主、聖職者
内外ふたつの三日月業界

どんな文も、散文だろうが韻文だろうが、文であれば意味を持ってしまう。
とぼけても無駄。
いや、とぼけたわけではないのだが。

ナンセンスの不可能。
あるいは、ナンセンスを論じることの不可能。
論じればセンスが生じてしまう。

link - 内外ふたつの三日月業界|mataji|note

2022.3.19 sat. link

おい、こら
what's Katrina new

what's Katrina new - Google 検索
――――
カフカ「兄弟殺し」の一節。
ヴェーゼは2つの街路の境目で立ち止まる。彼はただ杖を道の反対側にもたせかけるだけ。気まぐれである。紺色と金色の夜空が、彼を魅了している。彼は何も知らずにそれを見ている。彼は何も知らずに帽子を少し持ち上げ、髪をかきあげる。その向こうの空では、差し迫った未来を告げるものは何一つ動いていない。すべてが意味のない、未踏の位置にとどまっている。

2021.6.24

月明の夜である。
街路の境界を越えるか越えないか。越えると殺人者シュマールがナイフを抜いて待っている。
人物の配置が立体的。近くの三階の窓から金利生活者パラスが見下ろしている。
五軒ほど先の斜めむかいではヴェーゼ夫人が帰りの遅い夫を待ってたが、ヴェーゼの事務所の玄関の鈴が鳴って夫がもどってくるのを察した夫人は窓をしめて姿を消す。
殺人者シュマールの待つ未来へむけて、ヴェーゼが街路の境界を越える。
首の右を刺し、左を刺し、三度目は腹中深く刺す。川鼠を刺すと、今のヴェーゼと同じような音が出る。
パラスが玄関に現れる。三階からおりてきたので、光景の次元が一つ減って平面になる。

2022.3.18 fri. link

賊の置き手紙としての創作行為
わたしが、わたしがって、そんなにわたしが貴いかという問題。
結構な詩――と言いたくなるようなものが書けたとしたら、それはわたしが書いたものではないだろう。
どこかの誰かが書き捨てて行ったもの。

2022.3.17 thu. link

賊の置き手紙
何か悪いことをして、そいつが置いていった置き手紙


だめだな、時間をあけてはいけない
思いついたらすぐメモ
ほぼ同時くらいにメモ、理想は、ほぼ同時ではなく、たんに同時
思いついたときには、すでにメモになっているくらいの
むしろ、メモが先行して、あとから思考がついてくるとでもいった

ベンジャミン・リベットの実験をすなおに(リベットに逆らって)理解するなら、手を先に動かせば頭はあとからついてくる。
賊の置き手紙?

Libet Experiments

どちらの道を走ったものかと
賊がきこりの女房に…

賊の置き手紙としての創作行為

2022.3.14 mon. link

ふっくらした野生。
晴れた日の私の赤い手。
ハハハハ、プッシュとして、ソムとして。
そうじゃないので、私の笑いで。
そうじゃないので、私の笑いで。|mataji|note

意味のないもの。論理の矛盾や破綻ではなくて。

2022.3.12 sat. link

私を呼んだのは舘ひろしと思われるが、舘の癖に夜目が利く、チラチラする所に疑問を感じ…

料理は手早く。
せっかくの舘ひろしが痛んでしまう。
頭を使うより、手を使う。

2022.3.11 fri. link

幾何学的

二つの街路を分けへだてている、ちょうどその境界線のところで、ヴェーゼは停止している。彼はただステッキをむこうの街路に立てて、それにもたれているだけである。気まぐれである。夜空が、暗青あんじょうと金色が彼を誘ったのである。何も知らずに彼はそれを眺めている。何も知らずに帽子を少しあげて髪をなでている。かなた上空では、さし迫った未来を彼に告げようとして動くものは一つもない。一切はその無意味な、探求すべからざる位置にとどまっている。 カフカ「兄弟殺し」(長谷川四郎訳)

月明の夜である。
街路の境界を越えるか越えないか。越えると殺人者シュマールがナイフを抜いて待っている。
立体的でもある。近くの三階の窓から金利生活者パラスが見下ろしている。
五軒ほど先の斜めむかいではヴェーゼ夫人が帰りの遅い夫を待ってたが、ヴェーゼの事務所の玄関の鈴が鳴って夫がもどってくるのを察した夫人は窓をしめて姿を消す。
殺人者シュマールの待つ未来へむけて、ヴェーゼが街路の境界を越える。

2022.3.10 thu. link

指し示す事物を欠いて、虚空に浮遊する記号

ソシュール言語学の用語でいえば、漱石のウラナリは〔uranari〕という音声連続(記号表現シニフィアン)とそれが呼び起こす概念(記号内容シニフィエ)とが表裏一体で複合した言語記号シーニュなのですが、シロウルリはそうではありません。音声に対応する事物は何も実在しないのです。いわば記号表現だけが虚空に浮遊しているのです。盛親僧都の悪戯心は、図らずも言語論上きわめて面白い論点をつつきだしているわけです。 ロレツフリーの弁、付 しろうるり考 - 野口武彦 公式サイト

2022.3.9 wed. link

なあ、サイモン、おまえは触れたのを悟ったか
猛獣の形だぞ、音も、臭いも
誰に触れたと思ってるのだ
いつまで宣伝相に
すっかり安心させられて…

傍観者的、驚いてはいるのだが。当ページのヘッダー画像。

2022.3.7 mon. link

自由経済の果て。とうに始まっていたのだな、未来。
未来世界カリフォルニア。

カリフォルニア州では2014年11月に実施された住民投票「修正案47(Proposition 47、Prop-47)」の可決により、被害額が950ドル以下の場合は、軽罪に分類されるようになった。
同法が施行された効果はすぐに現れ、2016年のロサンゼルス市警での万引き報告件数は前年比で25%も増加。その後も増加の一途をたどったが、万引きが軽罪として扱われるようになってから、警察や小売業者が万引きを取り締まらなくなったことが一因とされる。 万引き多発、店舗閉鎖続出で岐路に立つ「バイデンの人権擁護政策」(安田 佐和子) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)

こちらには別の未来世界。
この方向での民主主義はありうるか。全体主義ではないのか。

街頭に設置された監視カメラから、人々の振るまいや発言がデータとして採取される時代になっています。中国の国営監視カメラ網がいい例です。24時間、365日、無数の監視カメラ群が表情と声色を捉え、あらゆる政策論点について、人々が街中でどんな声で何を語りどんな意思を表明しているか聞き耳をたてています。そこから我々民衆の中の隠れた声を見つけ出す。そんな民主主義の姿がそう遠くない将来にくるのではないでしょうか。 イエール大・成田悠輔助教授「選挙も政治家も、本当に必要ですか」:朝日新聞GLOBE+

2022.3.4 fri. link

死人の箱には15人、歌っていると…
2022.3.1の続き

やってきたのだ、その男が
ぼくとそっくりなそいつが言った
「ジム少年だな」

ぼくとそいつの違うところ。
年が違う。父さんより上かもしれない。
杖をついている。松葉杖。
右足の膝から下がない。ぼくにはある。

2022.3.3 thu. link

昨夜の mataji-bot は「なぜに急がれ」。
「十間里」か「十軒里」か迷う。
後者のほうが村落のイメージが具体的になりそうだが、イメージを狭めないほうがいいかとも思う。
――――
 脳という「フィクションを製造し、編集する器官」から魂と呼ばれる「状態」が生まれる以上、人はそれ自身がフィクションであることから逃れられない。しかしまた、現実から多くの情報をそぎ落とし、編集された「フィクション」という在り方であるからこそ可能となるものもある。それが自身の人生を様々な形で他者へ伝えるということだ。これは「フィクション」という編集され、記述されたコンパクトな存在だからこそできることだ。
 現実は物語ではない。しかし、人間は現実を物語として処理する機能を脳に与えられた。 伊藤計劃「人という物語」

2022.3.1 tue. link

肩にオウムを乗せて歩くのがはやった年
その年は一年が短くて
とくに短かったその夏のこと
一人前に肩にオウムを、片目に黒い眼帯を掛け、行李の上に座り込んで
死人の箱には15人、歌っていると…

この流れだと叙事詩か