zakki no.22

[2022.5.1 - 2022.6.8]

2022.6.8 wed. link

戦争は難しい、重さも含めて。
および、匂い。
英国海軍の潜水艇の匂いを嗅いで、重量を追加。
ポリアンナに食べさせるため、司令官は潜水艦で海岸に行く。
英国の海岸の苔のラックの家。
季節が変わり、トナカイに乗ったポリアンナ。
王立の潜水艦が出港し、ポリアンナの妻にゲインズする。
潜水艦に乗り込み、いつしか彼女のために準備を整え、舷側にぶら下がる。

2022.6.5 sun. link

クルト・シュヴィッタース(1887-1948)の革命論。
中原佑介「廃物の叫び――クルト・シュヴィッタース」から孫引き。

私ノナカデハ、ドウデモイイモノトノ曖昧模糊トシタ葛藤ガ駆ケメグッテイタ。ソシテ、突如トシテ華々シイ革命ガヤッテキタ。私ハコノヨウナ革命ニ多クノモノヲ期待シテイナイ。ソノタメニハ人類ハ成熟シテイナケレバナラナイカラダ。ソレハ、チョウド風ガ未熟ナリンゴヲ木カラ振リ落トスヨウナモノデ、破壊デシカナイノデアル。

風が未熟なリンゴを木から振り落とすようなもの。

2022.6.4 sat. link #ナンセンス

アッティラ - Wikipedia

カタラウヌムの戦い、ただし両軍の武装は中世のもので描かれているという。
戦場で人は馬鹿面になる――と草森紳一の説(2021.12.21)。

2022.6.3 fri. link

クレオパトラの再教育、その数およそ十万八千
華々しく噴き出して自分の意志をローマ史などと血に飢えながら…
――――
バナナボート

done クレオパトラ+バナナボートで1本
バナナボート|mataji|note
クレオパトラの再教育、その数およそ十万八千――このフレーズは他の詩で使ってると思うが、とする。

2022.6.2 thu. link #ナンセンス #詩論 #推敲

シャッターの瞬間ということ。
立木とあるのは写真家の立木義浩。二人の女はそのモデル。

立木は幼児返りをしているのであって、彼の切り取った影像の中におさまる人物たちも幼児返りをしているのである。立木は、ちょうど子供のままごと遊びの主人役であって、二人の女は、そのままごと遊びのお客にすぎないのである。立木が、このままごと遊びに倦きて、つまり大人のセンスの世界に通用する主人対お客の関係を放棄して、主人でありもてなし役である立木が、子供によくあるあのままごとの破局に見られるような、その遊びの御膳を突如ひっくりかえした時、シャッターは小気味よく音を立てているのだ。それは、立木がまさに痴呆となった至幸の時である。 草森紳一「ナンセンスの練習」

シャッターチャンスは作詩にもある。
推敲をつづけるうちに、なんのインパクトもない無難なものになっている。
もっと、何か、ごつごつしたようなものがあったはずなのに。
そう気づいた時はすでに手遅れ。
シャッターチャンスは去ったのである。

頭脳の中に重くたれこめる混沌の気を盗もうと企てる詩人の志、つまり詩は、本来、ナンセンスの味方なのである。味方というより、ナンセンスにならなければ詩という幼神をかいまみることさえできないであろう。幼神に逢うという冒険はナンセンスとの出逢いであり、詩人をして、詩そのものをナンセンスのままに原型させることを要求する。 同前

2022.5.31 tue. link #デュシャン

デュシャンの言ったこと。
1946年の発言という。「自分」とあるのはデュシャンのこと。

〈ダダ〉は形而上的な立場にたつものだった。そして、それは一種のニヒリズムだが、自分はまだそれに共感を感じている。〈ダダ〉の空白の力というのはきわめて有益なものであった。それは、《あなたの考えているほどには、あなたの心は空白でないことをお忘れなく》ということをあながたたに語りかけたのである。 中原佑介「笑いの商人――マルセル・デュシャン」

2022.5.30 mon. link #壁抜け

インド僧も壁抜け?

張魏公在蜀時,有梵僧難陀,得如幻三昧,入水火,貫金石,變化無窮。初入蜀,與三少尼俱行,或大醉狂歌,戍將將斷之。及僧至,且曰:「某寄跡桑門,別有樂術。」因指三尼:「此妙於歌管。」戍將反敬之,遂留連為辦酒肉,夜會客,與之劇飲。僧假襔襠巾幗,市鉛黛,伎其三尼。及坐,含睇調笑,逸態絕世。飲將闌,僧謂尼曰:「可為押衙踏某曲也。」因徐進對舞,曳緒回雪,迅赴摩跌,伎又絕倫也。良久,喝曰:「婦女風邪?」忽起,取戍將佩刀,眾謂酒狂,各驚走。僧乃拔刀斫之,皆踣於地,血及數丈。戍將大懼,呼左右縛僧。僧笑曰:「無草草。」徐舉尼,三支筇杖也,血乃酒耳。又嘗在飲會,令人斷其頭,釘耳於柱,無血。身坐席上,酒至,瀉入脰瘡中。面赤而歌,手復抵節。會罷,自起提首安之,初無痕也。時時預言人凶衰,皆謎語,事過方曉。成都有百姓供養數日,僧不欲住。閉關留之,僧因是走入壁角,百姓遽牽,漸入,唯余袈裟角,頃亦不見。來日壁上有畫僧焉,其狀形似。日日色漸薄,積七日,空有黑跡。至八日,跡亦滅,僧已在彭州矣。後不知所之。 酉陽雜俎/卷五 - 维基文库,自由的图书馆

冒頭まもなくの「入水火,貫金石」というフレーズは『列子』にあるのと全く同じ。このことをどう考えるか。
終わり近くの「僧因走入壁間」が壁抜けを思わせる。
難陀というインド僧のことが書いてあるらしい。出典は『酉陽雑俎』とあり、邦訳をチェックのこと。

2022.5.29 sun. link #壁抜け

アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」を読んで、人間が壁に溶け込む? そんなことがあるものか――と怒りだす人は少ないだろう。マルセル・エイメの「壁抜け男」を読んで、そんな馬鹿な!――と驚く人もまれだろう。
どちらもお話としてはあり。
問題は、人が壁を通り抜けるというようなことは、誰でも考えつくことなのか。
――――
重力駆動?
Bushdog's Tumblr

2022.5.28 sat. link #野口武彦

昔は、大量の蝶の出現は兵乱の兆しと考えられました。『吾妻鏡(あずまかがみ)』の宝治元年(1247)3月の条には、黄蝶が群飛して鎌倉中に充満し、古老は平将門の乱の時もこうだったと不安がったそうです。江戸時代の延宝8年(1680)閏8月6日には、大風雨のさなかに数十万匹の黄蝶が異常発生ました、。暗君(5代将軍綱吉)が出たからだという人もいました(戸田茂睡(もすい)『御当代記』)。宝暦年間(元年は1751)、江戸両国の回向院(えこういん)には多量の蝶の死骸を埋めた蝶塚があった、と大田南畝が 書いています(『金曾木(かなそぎ)』)。この話に信憑性があるのは、弘化⒋年(1847)9月、信州でまっ白な小蝶が死んで天から降り積もり、所によっては』地面に15~18センチも堆積したという記録が残っているからです。しかも一匹がきちんと2つずつ産卵してから死んだそうです(『天言筆記』)。この変な律儀さが蝶の不気味さです。 蝶の盛衰 - 野口武彦 公式サイト

2022.5.27 fri. link #野口武彦

…連衆の皆さんはそれぞれに連句の原理――36の破片を連ねて一種の物語絵巻を作る――を呑み込んで来ていますが、まだまだ独詠句――句主個人の感慨発出・経験発露・感想吐露などが主力になる――の習癖が抜けていない、という印象です。連句の世界には「自己離れ」しなくては身に付かない事物・事象がふんだんにあるのです。
このような「自己離れ」をするのには江戸の雑俳から多くが学べます。江戸人のドライな唯 「物」論、タダモノ論はものみなを物化し、冷眼視し、笑殺しないではいません。雑俳にはその即物的客観性が生きたセンスになっています。
往事片々ウクライナ小事 付 雑俳連句へのいざない - 野口武彦 公式サイト

物化は『荘子』斉物論篇にある言葉。
冷眼視、笑殺、自己離れ等の語を用いて述べられたことは、アイロニー、ユーモア、センス、ナンセンスなどの用語で述べることも可能か。

2022.5.26 thu. link

「乘虛不墜,觸實不硋」が対句であること。

2022.5.25 wed. link #壁抜け #列子

先日の引用のうち、『列子』の「能實不礙」とある箇所は「觸實不硋」とする版のほうが多い。

周穆王時,西極之國,有化人來,入水火,貫金石;反山川,移城邑;乘虛不墜,觸實不硋。千變萬化,不可窮極。既已變物之形,又且易人之慮。 列子 : 周穆王 : 1 : 相似段落 - 中國哲學書電子化計劃

「入水火,貫金石」が対句表現だろうことに注意。金属や石に穴をあけたと解釈したのでは対句性が弱い。金石を通り抜けたと解すべきだろう。「乘虛不墜,觸實不硋」も対句。この場合も、「虚に乗って落ちず、実に触れて妨げられず」と対句的に訳すのがいい。

2022.5.24 tue. link #壁抜け

解奴辜という方士(幻術師)のこと。

解奴辜,字不详,不知是何郡国人也,生卒年不详。东汉末年方士。能隐没身体不使人见,出入不经过门户。能变换成各种物体的形状,用来欺骗迷惑人。 解奴辜_百度百科

解奴辜は後漢末の幻術師。呼び名、出身地、生没年、いずれも不詳。姿を隠すことができ、門戸を通らずに出入りした。物体の形を変えることができ、もって人を幻惑した――と。
出典は『後漢書』という。

《后汉书·方术传下·解奴辜》:
解奴辜、张貂者,亦不知是何郡国人也。皆能隐沦,出入不由门户。奴辜能变易物形,以诳幻人。

2022.5.23 mon. link #詩論

 詩を書くというのは、夢を見るようなものだと思う。昔、父が死んだ後、あたしはずっと、なぜ(あんなに好きだった)父を捨ててアメリカに行っちゃんたんだろうと考えていた。そしたら毎晩、夢を見た。
 夢だから荒唐無稽だったし、毎晩違う夢ではあったけど、なんとなく何かがつながっているのがわかった。なぜ父を捨ててアメリカに行っちゃったんだろうと、夢を見ながら考えているのがわかった。そして、あるとき理解したのだ。「なぜ捨てたのか」。理由があった。心のど真ん中で固まって、なかなかほどけない理由だった。
 詩を書くというのは、眠らないでそういうところにたどり着く作業だと思う。 伊藤比呂美『ショローの女』

2022.5.22 sun. link #ナンセンス

頭脳の中に重くたれこめる混沌の気を盗もうと企てる詩人の志、つまり詩は、本来、ナンセンスの味方なのである。味方というより、ナンセンスに自らならなければ詩という幼神をかいまみることさえできないであろう。幼神に逢うという冒険はナンセンスとの出逢いであり、詩人をして、詩そのものをナンセンスのままに原型させることを要求する。 草森紳一「ナンセンスの練習」

我々は、時には子供のようでありえても、いつでも子供ではありえないのは、社会ごとに生きているからだ。ナンセンスの世界へ突入するには、我々のまわりに渦巻いているセンスというガス状の気体をぶち破って越えねばならないのであるが、していつも越えられるとはかぎらないのである。もうほんとに、稀にしかナンセンスに合体できなくなってしまっているのだが、この稀を浴びるには、やはり練習という愚が必要になってくる。 同前

2022.5.21 sat. link #壁抜け #列子

中國的變戲法(又稱幻術、魔術)到底起於何時,已難考證。《列子·周穆王篇》載:“周穆王時,西極之國有化人來,入水火,貫金石,反山川,移城邑;乘虛不墜,能實不礙。千變萬化,不可窮極。”唐代雜技和幻術空前繁榮,幻術節目中的“走火術”、“種瓜”、“植樹”,不但流行於本土,而且還傳入了日本。 鵝幻彙編_百度百科

中国の変戯法(幻術、魔術)がいつ始まったかを明らかにするのは難しい。『列子』周穆王篇には、「西の果ての国に幻術士がいて、周の都にやって来た。彼は水火に入り、金石を貫き、山や川を逆転させ、城市や町を動かした。虚に乗って墜ちず、実に処して妨げられず、千変万化して極まるところがなかった」とある。唐の時代には曲芸や幻術が盛んになり、「火渡り」「瓜植え」「植樹」などの幻術は本土だけでなく、日本にも伝えられた。――DeepL 翻訳、Google 翻訳頼りだが、こんなところか。

『列子』原文の「貫金石」をどう解するか。
金属や石に穴をあけたと解するのも可能だが、それでは幻術士の売り物としては弱い。やはり壁抜けの術と見るべきではないか。
関連記事: 2022.4.23 sat.

『列子』のフランスへの紹介については、Wikipedia に次のようにあり。

Œuvre de Lie-Tzeu, in Les Pères du système taoïste, Léon Wieger, Imprimerie de Hien-Hien, 1911- 1913 (BNF 39451974) ; réédition, Paris, Cathasia, coll. « Les Humanités d’Extrême-Orient », 1950 (BNF 32385215) Lie Zi — Wikipédia

Léon Wieger (1856-1933) はイエズス会の宣教師という。
Hien-Hien は不明だが、中国の地名か。とすれば、中国で印刷されてフランスに送られたことになる。

[追記] Hien-hien は河北省の献県
Caractères chinois : etymologie, graphies, lexiques | 東京外国語大学附属図書館OPAC

2022.5.18 wed. link #推敲

思想、春泥の庭に知るを取る
門に結ばれた隅の庭は雨を聞くが、我々、春の草かも知れないと、傘をさして歩く
菖蒲は良いに置かれる

風を読み、塵を縛るために笑って行く、傘を噴射する
吾山(わがやま)手の塵(ちり)花(はな)の塵(ちり)

大都会の別荘を歩く、小径に立ち寄る
風の壷がささやく
春は泥を読む
牡丹の角、春の泥
雨を踏みながら男を踏む、茶屋と炉の上に落ち

done: 「大都会…」以下を一部改めて note に投稿
散策|mataji|note

done: 冒頭の「思想」以下を追加
推敲しすぎた例。推敲しすぎないこと。野放図に。

2022.5.17 tue. link #詩論

詩において言葉は、レゴ・ブロックのように自由に組み合わせられる。言葉のブロック遊びとは、言い換えれば、言葉のダンスです。それ自体を楽しむ行為としてのダンス。詩的言語とは、ダンス的な言語です。(…)そして深い勉強とは、ダンサーが身体を柔らかくするように、言葉を柔らかくして=自己目的化してから、その上で、新たなしかたで言語を道具化することなのです。 千葉雅也『勉強の哲学』

2022.5.16 mon. link #詩論

國分 詩の読書体験というか、詩体験ってどういう感じなの?
千葉 言語は物質ですからね。だから、詩を読める、読めないという言い方はあてはまらなくて、詩は意味を理解するものじゃない。オブジェクトなんです。
……
國分 東浩紀さんがツイッターで、最近はワープロで書くから文章をブロックで把握していると言っていたんだけど、僕も完全にそうなんだ。ブロックというか段落で把握している。一文一文読むというより、ブロックとして見て、何かブロックの調子が悪いと、内容を精査する。
千葉 へえ、面白い。
國分 あるブロックの次のブロックがこの大きさだと、建築の構造上間違っているみたいな判断なんだよね。千葉くんがまず言葉の配置に目が行くと言ったのは、ちょっとその感覚に近いかなと思った。 國分功一郎・千葉雅也『言語が消滅する前に』

2022.5.14 sat. link #詩論

その時 赤い傘が一つ
波打際をころがってゆくのが見えた
あの猫の忘れたものであろうか
踊るように 高く低く うごいてゆくのである

高橋新吉の50行ほどの詩「赤い波」の一節。
後半に入ってまもない箇所。
波打際を転がる傘は「あの猫」が忘れていったものかという。
――――
哲学が重大な発見を導くことはありえない。それはただ、すでになされた発見についての語り方の一つに過ぎない。―ポール・ディラック

美しき物理学bot on Twitterから。
さらに言えば、哲学はまちがえる。それも、肝心なところで。

2022.5.13 fri. link #詩論 #推敲

推敲するほど劣化する問題

客の前に生肉を投げ出して
ナイフとフォークを与えて
さあ、食え
美味いか不味いかは、あんた次第――

推敲しないとは、そういうことなのだが…

2022.5.12 thu. link #書評

人物の配置が立体的。
街路の境界を越えると殺人者シュマールがナイフを抜いて待つ平面になる。
パラスが三階からおりてきて、光景の次元が一つ減る。
殺人者シュマールの待つ未来へむけて、
ヴェーゼの事務所の玄関の鈴が鳴って夫がもどってくる。
首の右を刺し、左を刺し、三度目は腹中深く刺す。
月明の夜である。
川鼠を刺すと今のヴェーゼと同じような音が出る。
金利生活者が三階の窓からおりてきたので、光景の次元が一つ減っている。
川鼠を刺し、左を刺す。
ヴェーゼ夫人が帰りの遅い夫を待っていたが、
五軒ほど先の斜めむかいでヴェーゼが街路の境界を越えたか越えないか。
川鼠を刺し、左を刺し、三度目は腹中深く刺す。
月明の夜、首の右を刺す。
ヴェーゼと同じような音が出る。

出来上がった感じはあるが、それだけ。どうする。

done: 可として note.com に投稿。
兄弟殺し|mataji|note

2022.5.11 wed. link

鶏肉
憩いの足元、夏
五体満足か三体満足か
苔が
吾が翼
月それぞれの米とその上、蛍の上と食べ過ぎの月の峰
宵の足は蛍の巣の上に

done: 軒を噛む月|mataji|note
――――
自由ということ。

唇に黄色い絵の具を塗って
Oh, good eveninkle, I'll man's road evening
夢の中に立つと、虫たちが歩いている
または殺人者のようなもの|mataji|note

2022.5.10 tue. link

右へ行けば青梅街道
左へ行けば青梅街道
あの晩も雪だった

または俳句風に、
カーチェイス 右へ行けば青梅街道 左へ行けば青梅街道

2022.5.9 mon. link

露は伐り行く
昼間の草は、魚の輝きの上に甘い gones の行そのもの
月が咲いたか咲いたか、東洋は明日来る、来ない、鶉の列は尺八の麺水、つり茄子
糠は鳥を熱し、鳥は井戸の露となる(私の心)

魂の棚、楼閣の不思議なドンの作り方
耳のモル牡丹の花、私がすくい上げると栄光で調理?

2022.5.8 sun. link

年秋、松の声...星を知らず、人間も吹いた。
牡丹二つは風牛の木に慕われる。
良い塚の植物で、彼は飲むことを楽しみ、朝の俳優の最初の卵は、それが消えている...ですか?
ですか?
ですか?
ですか?
にがりを吐く、時の栄光。
――――
影が曲がる、釣瓶落とし
鵞鳥、獰猛な秋
灯すは風、吐くは月
オチチ オテ 不思議な菊、飛びながら

月のスズメの掬い出しにあり...掬う

2022.5.7 sat. link

シブ、ゴブ、ロクブ、オイチョカブ
嘘だと思うなら数えてみろ
ブで終わる日本語はこの四つに限られること

2022.5.6 fri. link

法隆寺の六尺|mataji|note

(残簡)
白河の関を越え
なつかしの紅茶畑、茶畑を抜けて
農民の外出と子供たち
力強い滲みと雨でできた家
つぐくりの花、藁を持つ花、影を持つ花

大麦の農家
大麦畑

法隆寺の一部
私は麦の一部
――――
湯の花、茶の湯が流れ出るのを見る巡礼の旅
蝉の声と死のまぎわに女房の酔っぱらいのその食べ頃をのぞき込む美しい夕方か、悲鳴を上げる流田の底か、あるいは暑さが萎える畑か
水よ、私は緑色の死、蝉は牛を残すことができ
中に茶蛙
妻ある蛍の夕べ
done: 中に茶蛙|mataji|note

2022.5.4 wed. link

その旅行家はどこかの音楽学校を出たらしい。
今はオスロの法律学校にいて、そこもほどなく卒業という。
それら惑星のうちの一つの事情|mataji|note

人も物もそこにいる/あるだけで何かの事や物なのだから、そのことを素直に言えばいい。

2022.5.3 tue. link

その時の出来事が、その地域で統一された遺産に昇華された古代人たちの、物語の没落のすべてが要求されている。
その時代の
古代は、古代が滅んだ時代。

2022.5.1 sun. link

必死に試みる
疲労と失望のあまり失神する
不帰の人となる
手段はいくらでもあるのだから、わずかの想像力があればいい

壮士とか、ひとたび去って帰らずとか、そんなのではなくて、たんに帰ってこない人の意。
出かけると帰ってこないやつ、といったくらいの。