2022.7.6 wed. link   
村人です。done  2022.7.10 に吸収
 
2022.7.5 tue. link   
一枚の絨毯が、絨毯が、物語が、護る者が何人もいる。done 絨毯交易|mataji|note 
 
2022.7.3 sun. link  #列子  
楊朱の弟を楊布といった。 
2022.7.2 sat. link  #ヘンリー・ミラー  
ヘンリー・ミラー『暗い春』(吉田健一訳)のうち「支那を漫歩する」から。
わたしはアメリカ大陸に生まれたので、世界のどこかに人間でいられる場所があるなどということは信じられなかった。わたしはやむを得ず、支那人になった。――自分の国にいて、そして、支那人なのである。わたしは、自分とはなんの関係もない醜悪な人生に立ち向かうために、阿片を飲むかわりに夢想に耽った。ミシシッピー河に小枝が落ちるのと同じくらい静かに、自然に、わたしはアメリカ人の生活から脱落した。
 
わたしは自分の国のことばを忘れてしまって、そしてまだ新しいことばが話せるところまでいっていない。わたしは支那にいて、支那語を話す。わたしは、変わりつつある現実の中心にいて、まだそのための国語は作られていない。地図によれば、わたしはパリにいて、暦では、現在は二十世紀の三十年代ということになっている。しかしわたしはパリにいるのでもないし、いまは二十世紀でもないのだ。わたしは支那にいて、ここには時計も暦もない。わたしは荷船に乗って揚子江を遡っていて、食物はアメリカの砲艦が捨てたごみの中から拾い集める。
 
これが海綿を口にあてられて、蛙が踊っているときにイエスが歌った春なのだ。
 
 
2022.7.1 fri. link  #ヘンリー・ミラー #荘子  
もし他人の笑うときに笑い、他人の泣くときに泣いていたら、結局は、他人の死ぬように死に、他人の生きるように生きなければならなくなるだろう。ということは、自分を正常な人間にしようとして、それに負けることである。生きているあいだ死んでいること、死んだときしか生きられないことを意味する。そのような人間社会のなかでは、世の中はいつも、たとえ最も異常な状態にあっても、正常な様相を帯びる。ものごとはすべて、それ自体正しいわけでも正しくないわけでもなく、ただ考えかたによってそうなるだけの話である。
ヘンリー・ミラー『南回帰線』(大久保康雄訳) 
 
 
2022.6.30 thu. link   
辰巳、あの人が?done 辰巳、あの人が?|mataji|note 
 
2022.6.29 wed. link  #武田泰淳  
未来のことが予知できたら、人はどう行動するか。 
2022.6.28 tue. link  #荘子 #ヘンリー・ミラー #武田泰淳 #自由  
『荘子』と『南回帰線』に共通のもの。 
2022.6.27 mon. link  #壁抜け #荘子 #ドゥルーズ #ヘンリー・ミラー  
ドゥルーズが『千のプラトー』で下敷きにし、中島隆博が『荘子の哲学』で孫引きした中国人のイメージはヘンリー・ミラー由来。
長いあいだ奈落のふちで体のバランスをとりつづけていると、ついにはそれに熟練してくる。どっちへ押されても、しゃんと立っていられるようになる。こうして、恒常的な均衡状態のなかにいると、おそろしく陽気になる。いわば不自然な明朗快活さを身につけるようになるのだ。現在の世界には、以上の論旨をよく理解してくいる人種が、二つある――ユダヤ人と中国人である。
大久保康雄訳『南回帰線』 
 
ある意味では、ある深い意味でいえば、キリストは、その袋小路から全然押し出されなかった。彼が、よろめきながらふらふらと外へ出ようとした瞬間、その否定の逆流は、まるで大きな反動で巻き返されでもしたように彼の死に待ったをかけたのである。人間の否定的な全衝動が、人間の完全体を創り出すために凝結して、奇怪な不活発なかたまりになり、まとまった一人の人間の姿を生んだものらしい。復活ということも、人間はつねに自己の運命を否定しようとしている事実を認めなければ、説明のつかないことである。
同前 
 
中国人のように、異常な人生を送ることになるのである。いわば、不自然に快活で、不自然に健康で、不自然に冷淡にならざるをえないだろう。悲劇感は消え、花や岩や木のように生き、自然と戦いながら、しかも同時に、自然とともに生きるようになるのである。たとえ、最も親しい友人が死んでも、その葬式へ行こうとはしないだろうし、目の前で誰かが電車にひかれても、知らぬ顔で行きすぎるだろう。戦争が起きれば、友人たちを戦場へ送り出すことはしても、自分自身は、そんな殺生なことには、なんら興味をもとうとしないだろう。すべてが、そういうぐあいになるのである。人生は一種の見世物になってしまうだろう。
同前 
 
2022.4.23  
2022.6.26 sun. link  #壁抜け  
壁抜け男|mataji|note が 理由だな。突き詰めると、これ。
 
2022.6.25 sat. link  #引用 #盗用 #出典  
出典の明記について。――――
そのような、自分自身の掃き溜めになるようなもの。その風の向こうの風がないように|mataji|note  
2022.6.23 thu. link  #夢  
きのうの夢、旅先で道士と知り合ったことなどから始まって、かなり長かったはず。 
2022.6.22 wed. link  #壁抜け #夢  
道士からもらった薬を飲むと障子を通り抜けられるようになった。――――――
水生動物保管箱done われわれのうち、どれが本物のわれわれか|mataji|note  
2022.6.19 sun. link   
外 on Twitter  
 
2022.6.18 sat. link  #荘子  
ドブネズミはタビネズミより体温調整の能力が低い。2022.6.16 ――――
我々は時代遅れのテーブル、バー、仕切り席、台所、浴室のdone 合成都市――人間とハエの|mataji|note 
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ドゥルーズは、定冠詞で指示されるような固有性を有した個体性は、クロノロジックに捉える叙法や時制を要求すると述べる。しかし、それと異なり、不定冠詞で指示されるような「このあるもの」の個体性は、変化という運動の中で不定の「これ」として成立するために、不定法という時制で表される時を要求する。それは、出来事が生じる生成変化のモーメント(力=契機=時)なのだ。
中島隆博『荘子の哲学』 
 
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自我も相対的に恒常的であること by マッハ2021.4.11記事 
 
2022.6.17 fri. link   
学徒誕生 154 
2022.6.16 thu. link   
ケベックの浜で尿毒症のために死にかけてるタビネズミdone 見わたすかぎりどこまで這っても|mataji|note 
 
2022.6.15 wed. link  #壁抜け #列子  
『列子』にある別の壁抜け男のこと。 
2022.6.14 tue. link  #デュシャン  
見わたすかぎり人造人間の群done 影は薄かったり、隙間があったり|mataji|note 
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Home | Duchamp Research Portal  
デュシャンの巨大ポータルサイトが誕生。約2万点の関連資料や作品を公開|美術手帖  
2022.6.13 mon. link  
人が自分の首を両手で捧げてやってくる。done  note.comに投稿牛首考|mataji|note 
 
2022.6.12 sun. link  
どう考えても悪夢だが。搏 ( く ) 監 ( す )  
2022.6.11 sat. link  #壁抜け  
きのうの続き。五行思想 - Wikipedia 
中國的變戲法(又稱幻術、魔術)到底起於何時,已難考證。《列子·周穆王篇》載:“周穆王時,西極之國有化人來,入水火,貫金石,反山川,移城邑;乘虛不墜,能實不礙。千變萬化,不可窮極。”唐代雜技和幻術空前繁榮,幻術節目中的“走火術”、“種瓜”、“植樹”,不但流行於本土,而且還傳入了日本。
鵝幻彙編_百度百科  
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ポレポレ東中野 on Twitter  
 
2022.6.10 fri. link  #壁抜け  
西方主金,金為從革,故化人之來必自西極也。―― 
2022.6.9 thu. link  #壁抜け  
少なからぬ日本人にとって、漢文は学習コストの最も小さい外国語ではないか。
方外之與方內,其不相及亦遠矣。穆王,方之內者也;化人,方之外者也。西方主金,金為從革,故化人之來必自西極也。物本非有身,原太虛化人造物之主也,六合所不能拘,五行所不能役,故可以撮乾坤于黍米之中,促劫運于須臾之內,綽綽然猶有餘地,至于入水火,貫金石,反山川,移城邑,變物之形,易人之慮,皆平常閑事爾。
沖虛至德真經解 : 卷五 穆王上 - Chinese Text Project