zakki no.29

[2022.12.1 - 2022.12.31]

2022.12.31 sat. link #詩

畑です。
そして塔。

三人乗りの棒に乗ったフォレスターは赤レンガを動かし、全体にややこびりついたレンガで、一目のラールのようにぎっしりと建っている。
それはとても西洋的です。

すべての補足として、ロッドライトの先のとがった赤は、溺れたレンガのようにロッドをふるいにかけ、どのように窓枠やひさしを作っていったのですか。
その向こうの空にそれぞれの太陽の窓がどのような翼を持っていると言いましたか?
窓はそこに重ねられたレンガであり、光があると言いましたか?

我々もかなたから遠望されてたのですね。
たしかに。
それはどの外観も古い輝く生きている棒のように美しく、時計はレンガのように小さく見えるに違いありません。

2022.12.30 fri. link #詩

そして、冷感。非我である。
自分は自我である。
誰が?
太郎が部屋で目を覚ます。
自分なのだろう。

歌が歌ってる、太郎の屋根に雪ふりつむ、と。
太郎が自分を眠らせ、
次郎が部屋で目を覚ます。

自分が自分を太郎のような気がする。
自分に感じる。
けれども…
たしかに、太郎だと思ったのだが…
それとも今は次郎なのか…
寒いですか、と聞いてみる。

寒ければ自分ではない、
寒くなければ自分である。

2023.1.27 done
太郎が自分を眠らせ、次郎が部屋で目を覚ます|mataji|note

2022.12.29 thu. link #詩

悪魔に基づいた祈りの中で。
猫の名前。

ただし、物語のない会話をかわすことはできません。
珍しいことではない緑の縞の百科事典。
その機能として知られている時間の図像のイルミネーション。

その猫は14世紀の猫であり、ヴィクトリアシス図書館を翻訳する演劇でした。
猫の図像における猫は僧侶の狩猟に不利とされ、このような中世の家族は、中世の宗教的な交友関係に残されていない猫について、異教との関連性を批判的に推定しています。これは、世紀の女王犬を意味する。

真ん中のジョアンナ1世の余白にある猫と小型犬と女性の輸入駅。

2022.12.28 wed. link #詩

怪人二十面相を歴史に残すことに決まる。
さてこそと本人。

それを聞いて、学生二人は不服。会社の若手社員が三人。
昼夜を問わず常に十人態勢の警察は、警備のため、私のためなので、今朝ほど仕方なく賛同。
中村警部は面白そうに。明智探偵は深くうなずき。

賛否の分かれ方がおもしろい。
敵を知るものが、敵を高く評価するということか。

2022.12.27 tue. link #詩

どうするのだ、こんなに心細くて
いいんでございますよ
ところがまるで影がない
荷運び人がひとり
お供しましょう

どうするのだ、こんなに心細くて
従順を装って全身が上半身を調べるように
荷運び人がひとり
お供しましょう
ところがまるで影がない

暗闇がいっそう暗くなり
見ても人間がひとりだけ

2023.5.18 note.com投稿
見ても人間がひとりだけ|mataji

2022.12.26 mon. link #詩

カマキリ?
そんな風ではあったのですが。
そんな風ではあった草と一緒に投げ出しましたでしょうか。
さあ、どうでしたでしたか、カマキリの尻尾をふたたび噛むこと。
私はほとんぼ。
そんな風ではあったのですが。
そんな風ではあったのですが。
カマキリ?

私はほとんぼ。
そんな風ではあったのですが。
さあ、どうでしたでしたでしたか、カマキリ?
さあ、どうでしょうか。

私はほとんぼ。
私はちょうか。
何かの草の日光浴。
そんな風ではあったのですが。
カマキリの尻尾をふたたび噛むこと。
恥じらいの秋草を胸に持つ爪の生えた赤とんぼ。
そんな風ではあったのですが。

2023.2.22 note.com投稿
そんな風ではあったのですが。|mataji|note

2022.12.25 sun. link #詩

裏の病院で患者がまりをついている
歌を歌ってる
それにあわせて弟がピッコロ、弟の兄は茂吉

兄がたらちねの母さんを背負って泣く
それにも弟がピッコロ

2023.1.15 done
弟がピッコロ、弟の兄は茂吉|mataji|note
――――
いつのころからか、10年くらい前からだろうか、外国の曲がどれも歌謡曲に聞えてしまう。
事実は逆で、歌謡曲を思わせる歌を選んで耳が反応してるだけのことかもしれないが、この I Delitti del BarLume という曲も似て聞えるひとつ。



BS11で放送されてる「トスカーナ大衆酒場の事件簿」の主題歌という。
だが、どこがどう歌謡曲に似てるのか。
他の人にも似て聞えるのか。
感性のことだけで言えば、自分が歌謡曲に似ていると思うのだから、その限りでは似ているのだが、音楽理論的な裏付けは取れるのだろうか。

2022.12.24 sat. link #中井久夫

フィクションを肯定すること。

江戸時代におけるキツネツキも、一つの社会的ルールのもとに、他では得られない Erlösung(解決=救済)をしばしば与えていたようである。一旦キツネがつけば、予想はキツネと祈祷師(多くは日蓮宗の僧侶)との交渉の場に移される。取り引きバーゲニングが成立すると、キツネは、たいてい、捨てぜりふを残して消えてなくなるのだが、一切の不都合なことはキツネの背に負わされて、万事めでたしとなる。そうはうまくいかなかった例が多いとしたら、今日のあまり上手ではない精神科医と同じく、祈祷師が現実原則にのっとった疾病利得の線に沿う取り引きを遂行しえなかったからであろう。 中井久夫『治療文化論』

「予想」とあるのがわからないが、治療行為のことと考えたい。
キツネに憑かれた患者に言い聞かせたり、問いただしたりしても無駄である。
患者との直接の対話の代わりに、キツネとの対話に持ち込む。
言い換えれば、キツネというフィクションを肯定する(否定しない)ことで有効な治療がおこなえる。

つづけて中井は次のように書いている。

二次的疾病利得と正面から闘って勝ち目はない。それは天の時であって、ここで地の利と人の和をつくって実現させるべきである。面白いのは「怪力乱神を語らぬ」儒教で武装した江戸期の代官が、キツネツキを公式の病名として採用していたことである。彼らには、ことの真相がだいたいわかっていたのではあるまいか。 同前

代官とは、遠隔地(都市)に住む領主に代わって現地(農村など)で諸事を差配する職掌。
現地に住まうゆえに、代官はキツネツキが患者の環境(主として人間関係)に発していることをを察している。また、どのような治療が有効か、も。
患者はキツネに憑かれることで人間関係の軋轢をまぬがれている。
疾病利得である。たとえば、交通事故で怪我をしたため、会社に行かなくて済んでいる、ラッキーといった類の利得。
患者に対する直接的治療は、そのような利得を捨てるよう患者に迫ることになり、拒絶されるしかない。
キツネの正体は、多くの場合、患者の家族関係、地縁関係である。キツネツキがそのような病であるなら、その治療も、地元の人間関係や地域事情に通じた者によっておこなわれるべし。

キツネの存在というフィクションを、ともかく否定しないこと。
そのような治療者(祈祷師や代官)の姿勢は、現今の陰謀論にも有効ではないか。

陰謀論の信奉者は、その「物語」を「真実」とみなしているという点で、彼らは文字通り「真実」を信じている。つまり、ポストトゥルースという言葉に反して、そこには「真実」しかない。だからむしろ問題は、人々が「フィクション」をもはや信じることができないでいることなのかもしれない。現在のインターネットは、個々が信じる「真実」で渦巻いている。そのような状況下で、「物語」を多元的な「フィクション」=可能世界に返してやることは、果たしてできるだろうか。言い換えれば、私たちは「フィクション」をもう一度本気で信じることができるだろうか。 木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド』

陰謀論者の語る「真実」を、否定しないこと。
中井の説を援用すれば、家族・友人など患者の個人的事情を知る者の働きが功を奏するらしいこと。
とは言え、「現実原則にのっとった疾病利得の線に沿う取り引き」とは、専門家レベルの技量になってしまうが。

2022.12.23 fri. link #詩

貧困から抜け出し、今日も木漬けで鳴り響く、鳴き声の老婆。
そこに共同の洗濯物が私の妹に、届きわたらせ、懇願させる。

フォアインで鳴り響く、暗い鳴き声の老婆。
今日も木漬けで鳴り続けるラインピックと一本の尺次郎。
第三ラウンドのゴング。
そこに共同の洗濯物が私の顔は、共同水を古いものに参加させる、ぐるぐる。

フォアインで鳴り響く、暗い鳴き声の老婆。
貧困から支払砦の馬の水を呼び込み、
彼らは、共同水を古いものに参加させる、ぐる。

別版: 2023.3.17
――――

DEATH BY AUDIO"FUZZ WAR JAPANESE EDTION" : 【○八】マルハチBlog via Bushdog's Tumblr

2022.12.22 thu. link #詩

彼は彼の本性にすっかり慣れてしまった。
富が好き。
うれしそうなシンドバッド。

2023.1.30 done
富が好き|mataji|note
――――
焼き殺された安珍をかたどったクッキー型
宣伝文に「安珍清姫が好きな方は一度購入してみてください!」とあり。

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2022.12.21 wed. link #詩

半神の夢。
占いの夢の半神。

推敲の果てに残った二行。
見れば、もう一行削れそう。
どちらを削るか。

2022.12.20 tue. link 詩論

ノイズミュージックを楽しむ人がいるのだから、
ノイズ詩をよろこぶ者も当然いるはず。たとえば、こんなの。

そしていほどの路、そこに柿の紐、an、a mon
街並み
街並ぶ静かなたの種が並み
そこに柿の脳なら
そしていほどの編み
そこにサイの紐、木の路、木が並ぶ静かなら
an a mon
その脳にサイの編み
街は、三輪、その編み紐、奈落の枝なたの路、木が憑いる、あなら
街は、奈落の脳なたの紐、そしている、木が並み紐、三輪、数え切れなたの脳なら
a mon

これを読んでほぐれる人はいるだろう。
少なくとも自分はほぐれる。
ということは、自分がこの世でただ一人の特殊な感性の持ち主というわけではない以上、ほかにもこれを面白がってくれる日本語話者はいるだろう。

2022.12.19 mon. link #詩

同僚をすべて訪ねたが、解決策はなかった。
そして、都の神々をきれいに洗ってくるのを見た。

その謎は解けなかった。
私のこめかみに雪が降り、香を焚いて客の意識を失わせ、腹を切って入っていった。

一晩中寝返りを打った後、ふと気がついた。
この発表以来、多くの喜びの声や噂が聞かれる。
私は都市神である劉です。
公職についたとき、古い事例を調べたところ、百匹を下らないのです。
私は都市神である劉です。
公職についたとき、多くの商人や旅人が首なし不義を訴えていた。
最初は、船渡しを口実に客を船に乗せ、腹を切っていった頃、恍惚とした。
私は都市神である劉です。
私のこめかみに雪が降り、空に雲が生まれ、老龍舟家では小嶺、青道と呼ばれ、何匹かわからない。
この窃盗団は、司法省はまだ検索に最後通牒を発行し、その謎は解けなかった?
私のこめかみに雪が降り、香を焚いて客の意識を失わせ、腹を切って浴びせ、ピョートルを投げ出そうかと思った?
目が覚めても、その謎は解けなかった。

雪を掛ける者も龍、水に木が流れ、老龍津の船頭を捕らえたが、いずれも武器を持ってくるのを見た。
そして龍津の船頭を捕らえたが、解決策のない死骸が報告され。
一晩中寝返りを打った頃、恍惚とした表情で官僚が形のいい籤を持ってくるのを見た。
――――
私のこめかみに雪が降り、香を焚いて客の意識を失わせ、手紙を送りました表情で官僚が形のいい籤を持って石を沈めた。
この窃盗団は、船渡しを口実に客を船に乗せ、腹を切って浴びせ、手紙を送りました表情で官僚が形のいい籤を持って石を沈めた。
老龍舟家ではなかったと置く。
あまりのショックに、仕事を投げ出そうかと思った。

話を終えると、彼は何と言った。
一晩中寝返りを打ったと置く。
最初は、船渡しを口実に客を船に乗せ、腹を切って浴びせ、手紙を送りました。

話を終えると、彼は何と言ったほどだ。

この役人は誰だ?
彼は去って浴びせ、腹を切っていった?
そして、都の神々をきれいに洗ってくるのを見た。
私のこめかみに雪が降り、香を焚いて客の意識を失わせ、ピョートルを投げたり、空に雲が生まれ、老龍津の船頭を捕らえ、次々と五十数人を捕らえ、次々と五十数人を捕らえたが、解決策はなかった。
私のこめかみに雪が降り、空に雲が生まれ、壁上の扉は団欒。
話を終えると、彼は何と言ったほどだ。
彼は武官を派遣して龍津の船頭を捕らえたが、いずれも武器を持っていた。

2022.12.18 sun. link #詩

夜中に言ったり
したしたりになかなけたしたり
夜中になことでするも
あとのに言っとをしれば、消しがいけるもったしまいもいのになくて炭
ことたられるも
それるものではこの詩でもなったいければ
そんなこればいなったい

2022.12.17 sat. link #詩

空が漠然とした昆虫の前に立ち上がり、黒雲を沸かせて人々の前に崩れ。
どこまでも南下する浮遊列車。

ざらついた雲の手触り。
いわば、固形の蜃気楼。

その表裏においてフィルムにはさまれた夜が長く続き、その距離をぬぐって表面の森が半昆虫の前に立ち上がり、そのような、横のような、縦のような事態。
曖昧に積み重なった仮設の筋の崩れ。

2022.12.15 thu. link #詩

人間の顔を一生忘れてしまう、その前に。

はいつくばった三日月型の口の中からだと、後ろも見える。
音の無い声も聞こえる。
そればかりか、前後が同時に見える。
そのうち三人はその顔ではなく、後ろの顔がそれでした。
長いあいだ笑った後足も、機械のような、世にも気味のわるい仮面ではないだろうか。
彼ら三人の作り物の顔。
目の玉がなくて、たがいを見分けることはできない。

頭の毛はひどく縮れ、たくさんの懐中時計が埋まっている。
おいッ、待てッ。
人間の顔がこんなだったとは。

2023.1.25 done
人間の顔を忘れてしまうその前に|mataji|note

2022.12.14 wed. link #詩

(導出版A)

それが彼女である彼、忘れられた日に劇場で。
そこへ租借された日に劇場で。

下僕が知らせる、座ってくるくるくる。
そして私の祖父である彼、忘れられた日に劇場で。
そこへ租借された日に劇場で。
租借された日に劇場で。
下僕が知らせる、と。
下僕が知らせる、と。
租借された日に劇場で。
赤色のホールで奉仕と襲撃の召使いになる。

下僕が知らせる、座っている、と。
下僕が知らせる、座ってくる。
そこへ少女がやってくるくる。
下僕が知らせる、と。
赤色のホールで奉仕と襲撃の召使いになり陽になり陽になり陽になる。
――――
(導出版B)

租借されて、それが彼女は馬に乗り、傘はくる。
そして私の祖父である彼、忘れられた日に劇場で。
それが彼女であること。
赤色のホールで奉仕と襲撃の召使いになる。
下僕が知らせる、座っている、と。
そして私の祖父である彼、忘れられた日に劇場で。

そこへ少女がやってくる。
彼女は馬に乗り、傘はくるくる。

そして私の祖父であること。
それが彼女は馬に乗り、傘はくる。
下僕が知らせる、座っている、座っている、座っている、と。

2022.12.13 tue. link #詩

赤色のホールで奉仕と襲撃の召使い。
そこへ少女がやってくる。

租借された日に劇場で。
赤色のホールで奉仕と襲撃の召使いになり陽になる。
下僕が知らせる、座っている、と。
それが彼女であること。
そして私の祖父である彼、忘れられた日に劇場で。

そこへ租借されて、それが彼女であること。
租借された日に劇場で。
彼女は馬に乗り、傘はくるくる。

2022.12.12 mon. link #詩

五つの枝に配置された魔術師が、
五つの手品を前面に配置して、五五二十五、
それらの単語に名前を記載し、奇術で花を咲かせる。

マジシャンの術を置き換える、
それらのタネを簡単にするための別のタネあり、
いつもの彼/彼女の粉。

2023.1.13 done
いつもの彼/彼女の粉|mataji|note
――――
そして、その後にあったのが、アレです。
砂の小山が三つ。
――――
その日、あなたは、息を切らして夕暮れに息を引き取り、
頭の中で考えていることを、お金、街、そして疲れた女性が去っていったと聞く。

なぜあなたは目を覚まし、頭が部屋にあるのですか、頭だけ。
あちらこちらでその部屋が売り出され、息子がもどって来てうなり声を上げ、彼がいたために吹き飛ばされ、逃亡兵のように消えてしまえ。

死体が覚醒し、あなたの周りで一掃され、それをホストが驚いて見ている。

2022.12.11 sun. link #詩論

詩は遊びであり、真面目の彼岸にある、とホイジンガ。

詩作ポイエーシスとは一つの遊びの機能なのである。(…)そこでは物事は「日常生活」のなかでとは異なった相貌を帯び、ものとものとが論理や因果律とは別の絆によって結び合わされる。(…)それは真面目の彼岸に立っている。子供、動物、未開人、預言者が属している根源的・原始的な層のなかにあり、夢、魅惑、恍惚、笑いの領域のなかにある。 ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳)

貴人あるいは目上の者の行為が遊びとみなされること。以下も『ホモ・ルーデンス』から。

日本語はいまでもまだ、遊びの発想を「遊ばせ言葉」、つまり上品な話し言葉として保ちつづけている。(…)「あなたは東京につく」の鄭重な形は、文字どおり「あなたは東京におつき遊ばします」である。(…)この表現方法は、私の見るところが正しければ、ドイツ語の「陛下は畏くも……遊ばし給えり Seine Majestät haben geruht.」や、オランダ語の「どうぞ……遊ばしてください U gelieve.」に近い。

同じくホイジンガによると、世界のどの言語においても、真面目を意味する言い方は「遊びではないもの」という消極的概念を言おうとした試みにすぎない。

言語学的な疑問は別として、遊び-真面目の対立をもう少し詳しく観察すると、この二つの語がけっして等価ではないことが分かる。遊びポジティヴであるが、真面目ネガティヴである。真面目の意味内容は遊びの否定であると規定できるし、実際それに尽きている。「真面目エルンスト」とは単に「遊びではないもの」であって、それ以外のものではない。これに反して遊びの意味内容は、けっして「真面目ではないもの」とは定義できないし、それに尽きるものでもない。つまり、遊びとはいうのは何か独自の、固有のものなのだ。遊びという概念そのものが、真面目よりも上の序列に位置している。真面目は遊びを閉め出そうとするのに、遊びは真面目をも内包したところでいっこう差支えないからである。

まず真面目があったのではない。遊びが本来的なのである。

2022.12.10 sat. link

なにかおかしい。

寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ  寂蓮法師
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ  西行法師
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ   藤原定家

いわゆる三夕の歌。
例はこれでなくてもいいのだが、こんなもの、どこがいいのだ。
和歌などというもののどこがいいのだ。――

言語感覚が狂ってきてるのか。だったら、とすべきか。

2022.12.9 fri. link #詩

近ごろ、某大臣が、十年前の犀と一致。

これにつき飼い主夫人の証言。
犀とは、例の白犀のこと。
すなわち、自宅の飼い犀で白に雉毛の斑点を、やはり白い洋種の犀と近所の犀とを同一犀として、白犀、自宅の庭で見かけた犀と近所の家の犀。

ラジオの警報。
前日の白犀が今もこのあたりにいる。
某大臣の所在は不明。
同じであるかどうも前述の犀次第。
識者の言うには、腕の悪い探偵が出くわす問題と似ている。

某大臣の所在はいまだ不明。
後日の犀なにがしが今日の犀なにがしと同一か。

2022.12.7 wed. link #詩

医者は囚人を追い出す
彼は砂を吐き、肺をこねる

なぜ、その、あなたの脳の透明度があり
なぜ、その、あなたの脳の透明なスポンジが

あなたの脳の透明度が赤茶けて
あなたの脳のスポンジが枯化

あなたは私の脳の中で
死から伸びてくる昆虫の根

2023.1.4 done
なぜ、その、あなたの脳の透明なスポンジが|mataji|note

2022.12.6 tue. link #詩

【藪蛇】読み: やぶへび

藪蛇とは、ヤブをつつくと蛇が出る、その蛇のこと。
英語では sleeping dog。ということは、日本にもどせば、寝た子か。
いずれにしろ、本質的に客体であるような存在。

つつかれて現れる。
つつかれないと現れない。
主体があるかのように見えても、
あるいは、主体であるかのように見えても、
じつは虚構の主体。

藪に潜んで外をうかがう謎の目。
二十日の月が上野の山にのぼるころ。

2022.12.28 done
やぶへび|mataji|note

2022.12.5 mon. link #詩

その場合、三味線は
まあ、消えろ
三味線を考えている人はそう思う
なぜか、猫の上目づかいになっている

半四郎がまだ横にいる
弟子も一緒です

2023.1.10 done
三味線は、まあ、消えろ|mataji|note

2022.12.4 sun. link #詩

そうでしょうと、
濡れた旅人の蓑のような形をして言った。
河ははげしい音を立てて濁り出す。
「お気をつけて」
客はまた旅に出る。

王子は雨の中を帰っていった。
星の王子?
雨、こんこんこん降ると悲しい。
客はまた旅人の蓑のような形をして。

村の点灯夫は雨が降るなよ。
向うの山が雲の中を帰っていった。
枯木は山の方から流れて来る。
蓑を着た旅人の蓑のような形をして。

雨、こん降ると悲しい。
そうでしょうね、
火の点灯夫の雨合羽のひだ。
――――
街は、そしてモン、an a mon
あなたの脳に柿の種が憑いている、数え切れないほどの
an a mon、あなたの脳なら
そこにサイの木が並ぶ静かな街並み

あなたの編み紐、木の枝なら
その紐、三輪、奈落の路、a mon

2023.1.9 done
an a mon|mataji|note

2022.12.3 sat. link #詩論

17世紀フランスの神秘思想家マリー・ド・ラ・モットの詩という。
中川千春『詩とは何か――罵倒詞華抄』による。

詩は竪琴の子。
謳うべし、読むべきにあらず。
今では殆ど読まれもしないが。

詩は歌うものであって、読むものではない。
シンガーソングライターやラッパーが正しく、文字だけの表現にとどまってはならない。現代に引き寄せて理解すれば、そういうことになる。歌い手によって歌われることを前提に詩を書く者、すなわち作詞家の類も是。

竪琴の子とは、メロディに支えられて在ることの意。

2022.12.2 fri. link #詩

私です。
私を忘れてください。あなたは彼が手に入れたと言います。みかん。
私は私の太鼓を叩きます。あなたは。
笑いながら青春。

あなたはサイコロです。忘れてください。
ユートマンダーネス。
あなたはマンダースタンドを手に入れました。
エルスタンを忘れてください。

打つ、取りに行く、忘れる。忘れるが先だ。
――――
エレジーではじまった師走、二日目は青春歌謡?
可とする。悲哀も青春もあってのナンセンス。

2022.12.1 thu. link #詩

目的のない夜に彼女は聞いている
人々の孤独な唇
この街は誰が作ったのだろう
ルージュの悲しみ、あなたの背中、私のアザミはどこですか?
――――
憂いを吸え、背中を噛め、私の相棒よ
――――
エレジーっぽい月初め。きっかけは 〽星の流れに身を占って…