zakki no.32 by mataji

[2023.3.1 - 2023.3.31]

2023.3.31 fri. link #詩

薄暗い影を操り、なぜか人が止まっているようで、頼もしい影のような人がそこにいる。
その影である人間は、蛇や人ではなく、何かに動かされたような影を立たせ、また、その影に耳を傾けています。
あなたは「私は蝉を頼りにしない」?

止められても、「頼りにしているのはさっきの何かの跡なんだけど、コントロールが効かないから」と自分のやり方や言い方をするようで、頼りにしているのは何か、でも何か。
その何かは蝉?
それとも影が「頼りにしています」と止めたのだろうか。

人は何のために、何のための、世話をしているのか!
何かというと蝉ですか?
あるとき影が、私はそのようなことをする。

私は人間のままなのでしょうか。

あなたが持っている影が一致するとき、あなたは生命にものを言う。
それはまた、自由であり、何かの影であるようで、あなたは影の決定を求めている。
薄暗い影が歩く、物の皮膚。
何かが、そうなる。
あなたが蝉を受け流す影であったとき、何かが生きているように脱皮する。

その周りにあるのは、よくある自己満足のもの。
その何かが、さっきの蛇の影は自由で、何かの上を勝手気ままに歩いている。
生きている影の影は、立ち止まることに従っている。
ただ自分の意志を問う。

人は人、私たちは私たちが今していることを頼りにしているのですが、なぜか影の方が先に何かあるのですが、曖昧な影を頼りにして動いていないのが影なのです。
では、私たちは何を頼りにしているのでしょうか?
私たちが何かを頼りにしているのは、その意志のためであり、何を頼りにしているのかも理解できる。

何かの上に何かがあっても、影は動かない。
だから、私が頼っているものは、何かに頼っていることでもあるのです。

2023.7.3 note.com投稿
あるとき影が、私はそのようなことをする。|mataji

2023.3.30 thu. link #詩

コハ・ソウル・フェスティバル・オール・オブ・スプリング
春の波紋は水面に映り
村人が発芽
菜の花の片側キサラ
メスキート・ザ・サイド・キサラ
村の野と花
内溝のために春は雨、春の波紋が枝の雪に雨と萌え
コハ・ソウル・フェスティバル・オール・オブ・ザ・イン・イット・リゼリ・デ・キサラ
野と花の

村人の村人による
メスキート・ワン・サイド・キサラ
フォー・ザ・ウォーターズ

2023.9.6 note.com 投稿
メスキート・ワン・サイド・キサラ|mataji

2023.3.29 wed. link #ローファイ化

ローファイ化。
テキストを画像化して、さらにぼかしてみた。

2023.3.22 wed.

きのう Twitter に出した画像だが、アナログ志向をデジタルでやってみたというようなことか。
あれこれ手作業にしたい志向がある。
ローファイに見えるだろうが、じつはこのほうがハイファイ――といった気分もあるか。

関連記事: 2023.1.30 mon.

2023.3.28 tue. link #詩

私は北の浜になる、その方法の先端にいる。
Sometimes to be north seems it shore?
そして、島々。
彗星のようです、トロイの木馬の先端にあるタローに行くということ。
時には、ダントルカストー諸島の北に行くのが道筋のようです、トロイの木馬になる方法。
そこにあるタローに行くのが道筋のようです。

そして、島々。
そして、島々。

それはニューギニアのダントルカストー諸島の北に行くということです。
Somes it seems it shorth of to be north of New Guinea answer metime.
そこにあるタローに行くのが道筋のように思えること。
時々、その方法。
Somes th shorthe northe northe north seems it shorth of New Guinea answer me.
時には、ダントルカストー諸島の北に行く。

2023.3.27 mon. link #詩論

自分は何をしてるところか。
詩を書いてるとか、前衛的なのを書きたがってるとは言えるが、口上としては可としても認識としては雑すぎる。

才市の口語記述は徹底していて、しばしば類音による言語遊戯の域に達した。「ほどけが、ほどけを、をがむこと、なむがあみだに、をがまれて、あみだがなむに、をがまれて、これが帰命の、なむあみだぶつ」。文法の脈絡はかろうじて守られているが、意味の脈絡はほとんどない。ほとんど自虐的なまでの底抜けの帰命のあげくに、みずからを歓喜念仏のオートマチックに流露するうつろな容器と化した徹底であろう。「わしが、ねんぶつをとなゑるじゃない、ねんぶつの、ほをから、わしのこころにあたる」。 種村季弘「グロッソラリー・狂人詩・共感覚」(『ナンセンス詩人の肖像』)

呪文めいたのが書けるとうれしい。
それがひとつ。

言語遊戯である。おもしろくてやっている。

才市(浅原才市 - Wikipedia)は、文法の脈絡、意味の脈絡を破る意図はなかったろう。
私は意図的に破っている。常時ではなく、必須とも考えていないが。

オートマチックという点。
曰く、ねんぶつの、ほをから、わしのこころにあたる。
才市は念仏に駆動されている自覚があった。
自分はマシンになれるのか、いつか。

2023.3.26 sun. link #詩

雨は昏睡状態になる、
彼は浴びて、時間をかけて、この手紙の中で読むことの道理をお願いします、
困っているわけではありません。

しかし、その体を見たときは驚きました、
誰があなたで、誰が若い女で、誰が死んだと書いてある。

このように、事実は誰が欠陥品かによる。
源であった男をよく見てください、
涙の......人の......雨の......それを見て、人はまだそれほど驚いてはいませんが。

さて、その、落ち葉が落ちないのであれば、
誰が見てもわかるような、知らないような帷子が隠されていて、あれ?
その某氏が「私だ」という。

2023.3.25 sat. link #渡辺白泉 #戦争

アウトサイダーの目。

加藤郁乎「ダダ諧々」

こんな目を持った人物も、戦時下では徴用・招集されてしまう。
殺し合いに参加させられる。
自分は関係ないから、と言うわけにはいかない。
戦争ははじまってしまったら、負け。

2023.3.24 fri. link #詩

キツネが来て家の中。

いつですか?
キツネと人間が十日間、入れ替わっていた。
キツネが来た。
聞いてください、いつ? 今?

一時的に自分を頼りにしている親しい人はいないと言った。

人が来た、と耳元で言う。
いつ?

時間をぶらぶらする。
もどるには遠すぎる。

2023.3.23 thu. link #詩論 #ポエジー #西島秀俊

ポエジーとは。

トリスタン・ツァラ著、小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』

西島秀俊のノイズミュージック観を思わせる。



曰く――
楽しいとか悲しいとか、そういう自分の知ってる感情を増幅してくれる音楽はもちろん素晴らしい、それはそれで楽しいけれども、その前というか、名付けようのない感覚を与えてくれる、その感覚のそこは触られたことがない、そういうものに触れてることが、自分の演技にも、直接的かどうか、いや、でも、たぶん直接的に影響しているとは思います。
すぐれた映画って、見終わったあとに自分の中で起こっていることって、名付けようがないと思うんです。そういうところを震わせる作品に参加したいし、演技して、皆さんのそういうところを震わせたい。どこかでわかりにくかったり、人から見たら邪魔な要素に見えたり、失敗に見えるようなことを演技の中に追い込んでいきたいというのはあります。

2023.3.22 wed. link #詩論

繰り返すと詩ができる。
繰り返すうちに、リズムが生まれるから。


はじめに伊勢という人物がいる。
伊勢、伊勢と言ってみる。
伊勢志摩、伊勢志摩とも言ってみる。
呪文ですか。呪文のようです。

上総下総とも言ってみる。言ってみた。
呪文かね。呪文です。
古井戸の......上総下総の。

あるいは、丹波篠山が better ではないか、丹波篠山。
or 信州信濃の、信州信濃の。
or etc.

詩というより、歌か。
信州信濃の、信州信濃の、山奥の、
繰り返すと歌になる。

2023.3.21 tue. link #詩

村のマグロをミカンでビリビリに破る。
リッピング戦士の時。
そして、阿修羅のように大粒のビルが立ち並ぶ頃、賑やかな村から長い彼方で、海が開いて戻ってきたボートを破壊し、ボートを破壊することができる。
小さな花を咲かせ、小さな花を投げつける。

大きな魚雷のブロックと一緒に帰ってくる。
村のマグロをミカンでビリビリに破る。
リッピング戦士の時。
その上に飾られた。
漁船で飾られた。
その上に飾られる。
その船はその長さ。

そしてそれは、存在しない魚の波となり、さらに魚雷ボートを破壊することができる。
小さな花を咲かせ、小さな花を投げつける。
あのマンダリンオレンジと大粒のビルが立ち並ぶ頃。

そして次の雄姿は、存在しない魚の波となり、さらに魚雷のブロックと一緒に帰ってきたボートを破壊する正吉の収穫を時間に乗せて、その上に飾られる。

2023.3.20 mon. link #バタイユ

ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 有用性の限界』(中山元訳)

事柄の根底を説明できるものはない。
果だけあって、因はない。
そのことが笑いを引き起こすという。いや、ふつうは笑わないだろう。
笑うとしたら、哲学をやりすぎた人ではないか。
ふつうは少し驚く。そして忘れる。
犬がきょとんと空を見ている、おまえもか。

2023.3.19 sun. link #詩

陸に住むかも知らず、自給自足で、腹八分目で泳ぐことができ。
馬の本性は、馬の罪。
半年以上死んでいる。
草を食べ水を飲み、足から着地する。
これを知り、泥棒を知り、泥棒を知り、泥棒を知り、泥棒を知り、泥棒のようにする。
半年以上死んでいる。
馬は陸に住むかも知らず、自給自足で、腹八分目で泳ぐことができ。
陸に住むと、草を食べ水を飲み、足から着地する。

泥棒のようにする。
泥棒を知り、泥棒を知り、泥棒を知り、泥棒のように振舞うことができ。
嬉しいと首をほどかれ、悲しいと絞められている。
馬の本性は、馬の罪。
草を食べ水を飲み、足から着地する。

2023.3.18 sat. link #詩

彼女が再び来た時、私の船の中の蕪原郡は、その蕪原郡を知るべきでしょう。
芦辺の人の考えに呆れ。

その中のあなたが良いのか悪いのか。
誰がどうすればあなたのことを生きていたのか。
自分への道を知ることができるのだろう。

私がうんざりしているのは、良い人なのか、あるいは田舎の人なのか、それがあなたの極地なのです。
その姿に心を奪われたとき。
私は彼女のことを考えると嫌になるのですが、田舎者でなければならない時、それは津の果てまたは郡である。
男は芦辺に住んでいる女性を見た。
舟に乗ると、舟は言った。
かつて芦辺から住んでいたのは、ただ一人だった、と。

帰ろう。 
帰る。 
と、男は言った。
昔々、ある女が言った。
どうしたらいいのでしょう。

2023.3.17 fri. link #詩

第三ラウンドのゴング。
貧困から抜け出し、今日も木漬けで鳴り響く、鳴き声の老婆。
フォアインで鳴り続けるラインピックと一本の尺次郎。

共同水を古いものに参加させる、ぐる。
フォアインで鳴り響く老婆。

別版: 2022.12.23

2023.3.16 thu. link #詩

この鼻で。
鼻の塩味。
この鼻で。
この鼻でお香を作り、持っていたのが間違いだったようです。

瀬戸焼の鍋の香まで覚えて。
この鼻で。
塩漬けにするために訪れた各々の箸の定数。
小さな瀬戸焼のにおいとして喜平粉。
鼻の塩味。

夏が来ると茶碗を持つようになった。
京都みやげの喜平粉を入れたときの贈り物です。
瀬戸焼の鍋の香まで覚えて。

2023.3.15 wed. link #詩



朝を迎えて芽吹く朝の光に、継ぎ目は花
村人たちへ
雨を歌う
歌う
朝を迎えて芽吹く朝の光に、継ぎ目は花





モスキートオン
村人たちへ
モスキートオン


一雨に一刀両断
雨を歌う
雨を歌う
最大ウェイトのモスキートオン
村人たちへ
トレンゲとエバーグリーに関する側面について

モスキートオン
歌う

コハ・ソウルワイン

2023.3.14 tue. link #詩

楼營の心で官吏になり、夢を見て、学者を一歳にして、街へ。
そして槍にして、
河南は碑文を知っている。
そして、朱雀を手に入れたら歩いて食卓にする。
そして槍にし、数人を罰し、二人を死なせ、彼らと自分たちを送り出すのです。
楼營の心で官吏になり、夢を見て、街へ。
それでも、そこに青龍、白虎の生きている。
河南の最後の夜。
あなたが九人で、九歳であっても、そこに青龍、白虎の生きている。
そして、街へ。
河南の最後の夜。
あえて一緒に、彼の屋敷の白を食卓へ。
そして槍にし、二人を罰し、数人を罰し、二人を死なせ、彼らと自分たちを送り出すのです。
あえて一緒に、彼らと自分たちを送り出すのです。
それでも、そこに青龍、白虎の生きている。
そして槍にして、朱雀を手に入れたら歩いて食卓にする。
河南の最後の夜。
私はそれらを使います。
そして槍にし、数人を死なせ、彼らと自分たちを送り出すのです。
楼營の心で官吏になり、夢を見て、街へ。
それらを使います。
あなたが九人で、九歳であっても。

あえて一緒に、彼らと自分たちを送り出すのです。
私はそれらを使います。
河南の最後の夜。
あえて一緒に、彼の屋敷の白を食卓へ。

2023.3.12 sun. link #詩

秋の日本の白露は瓢箪と渡し船

生コンブチ入りからりんで
順に朝日、焚き火の火は緑

ハンギヌとは、部屋もないのに人が目覚めるということ

2023.3.11 sat. link #詩

古いミイラの
ドローインググラヴィティストの眠り
どこに多くの完全な
プラフマンに伝えられる掘削があるか
古いアーティストについての

メカニカルミイラの出血
ドローインググラヴィティークのようにぶら下がるか
古いアーティストについての
メカニカルな友か
プラフマンに伝えられる掘削
一人の老アーティストについての
どこに多くの完全な
プラフマンであるか

いつか、ミイラと踊る日
古き良きメカニカルミイラと

2023.3.10 fri. link #詩

コリャおま、グンダリャお聞から渡ったる鳴り申させて、やがては幸い鳴りゃ珍しいならば打って、修羅の名は、やす。
おましかるな、奇異な、その蝦蟇の名はなんにほんといあると御坊、蝦蟇の妖術を致す。
なんにはござり取ってはござり物ではらば打って日本を切り物じゃわいな形なんと御坊、しいその妄執晴らいそれまグンダリギャ。
授かならいそれを授かならいな、ころの妄執晴らば打ったる上ははな形な、試しからさん。
南無さったるまグンダリギャ。

2023.3.9 thu. link #詩

犬が降った。
打って出かけた。
弟を着替えだろう、吠えだろう、
雨が言った。

白い雨が降った。
弟はいって、吠えだって同じだろうといら、
雨が降って帰ったおまず、吠えたられまえて。

出かって帰って出かず、吠えて出かけないった。
弟はいられまえた。
おまえた。
兄といられまえた。
おまえたおまえの犬が言った。
弟を兄が言って同じだったら、吠えの犬が気づかけなって同じだって迎えてきた。

おまえだった。
黒いけたおまえて、
怪しまえの弟は白いった。

弟はい服を着て帰ったおまえの犬が気づかずにはいられまえて帰って、
兄が気づかず、吠えの弟を兄ときた。
おまずには怒って同じだって帰った。
犬が、
雨が降った。

※昨日の記事の一部をカットアップ

2023.3.8 wed. link

楊朱の弟を楊布といった。
楊布は白い服を着て出かけた。
雨が降った。
白い服を黒い服に着替えて帰った。
犬が気づかず、吠えて迎えた。
楊布は怒って、ムチで打とうとした。
兄の楊朱が言った。
打ってはいけない。
おまえだって同じだろう、
出かけるときは白かったおまえの犬が、
黒くなって帰ってきたら、
怪しまずにはいられまい。

以上、2022.7.3記事の再掲。
『列子』にあるこの話は、兄・楊朱の言に価値を置いて書かれているが、味わいの核は白犬が黒犬になって帰ってくるという喩えにあるのではないか。

出かけるときは白犬だった飼い犬が、黒犬になって帰ってくる。
そしらぬ顔で門を入ってくる。
態度は平然としているが、どう見ても別の犬である。
ならば、白い犬を飼っていた飼い主としては、怪しんで追い払わずにはいられまい。

だが、犬の立場ではどうか。
出かけてから帰ってくるまでに、セルフアイデンティティの変更はない。
自分は自分である。
変わったのは外見だけ。しかも、犬自身はそのことに気づいていないかもしれない。
怪しまれるのは、いかにも理不尽である。
これはちょうど、外出先で雨に降られて、服を着替えてかえってきた弟・楊布の立場に見合う。
吠えかかる犬に向かってムチを振るうのは当然ではないか。

話の進め方がまずいせいだろうか、自分は出かけて行って帰ってきた犬なのか、それとも家にいて弟・楊布を迎えた犬なのか、あるいは出かけて帰ってきた楊布なのか、それとも家にいて黒犬を迎えた楊布なのか、考えているうちにアイデンティティが行ったり来たりする。
ただし、少なくとも自分は兄・楊朱ではなさそう。
いや、兄・楊朱も自分か。

2023.3.7 tue. link

彼がスクスクです。
泥の幽霊?

どこにも目が着いてない。
泥の幽霊?

2023.3.6 mon. link #詩

僧侶たちの雨の人たちのアマガエルの雨のワキ
馬のワキ
馬の目の中

馬のアマガエルのワキ
雨の雨のワキ
雨の雨の雨のワキ
馬の雨の姓はアヒ、名はアマガエルの中
その中
馬の雨の雨の中
雨の姓はヨリ蔵
雨のアヒ、ムラ境で人々に

僧侶たちのワキ
その雨のワキ
そのアマガエルの雨の日、名は貪欲に尋ね
その日の雨の中
佐藤みゆる、荒橋なみだ

2023.3.5 sun. link #詩

出没する私たち。
それはどこに現れますか?
彼らは余白に生息し、フュリオサの機能を見つけられないグランディヴィダス・アマゾンに加えて…

人文科学とケ・アマゾンの人々、ノルム・モワールのミルク、
スキャンシット未満の製品群を表示しますか?
ノーチランド城塞のふもとに、それらは再現されますか?
その男は、モンス準神話のアマゾンマウントに機能的に影響を与えます、ノーチランドへの略路がどのように巡らされていようとも。

私たちは、彼らのバイクとアマゾンに加えて円錐形のスリーナーのノルンの縁が、ノーチランドの悪魔と同じものであることを知っています。

再会した老人とクエスの男。
出没する私たち。
それはいつどこに現れますか?
彼らは余白に生息し、フュリオサの機能を見つけられないグランディヴィ…

2023.3.4 sat. link #教養

教養がないということ。

久美子 大岡さんのことで印象深かったのは、お会いした時に、「自分は教養がないから」っておっしゃたの。あの大岡さんが、ってびっくりしたのよね。それで蓮實さんに、「大岡さんがこういうふうにおっしゃってたんですけれど」って言ったら、蓮實さんは、「僕だって教養が欲しいですよ」って言うのよね。
美恵子 ないからね(笑)。
久美子 それもまた、「えっ」と、思ったんだけれど。憶えてるでしょ?
美恵子 大岡さんの場合は、周りに中原中也とか、小林秀雄とか、その当時天才だと思われていた人とか、感受性だけじゃなくて、幅広い知識や教養と言われいるものを身につけてた人たちがいたわけよね。ほらあ道頓堀歩いてるとモーツァルトが聞こえてきちゃう小林秀雄とかさあ、(…)当時、大岡さんよりいろんなことを知ってた。なんかお金もかけ、苦労もして、身につけた教養?
 年を重ねてからの大岡さんのお仕事ぶりっていうのは、徹底的に調べて書く、ということだったけれども、それは、大岡さんの自負だったんだと思う。教養がないから。 金井久美子・金井美恵子『金井姉妹のマッド・パーティーへようこそ』

大岡さんは大岡昇平。蓮實さんは蓮實重彦。下線は mataji。
『金井姉妹のマッド――』は、1980年前後に『話の特集』誌上で連載された、金井姉妹をホストとする鼎談をまとめたもの。ゲストは、蓮實重彦、武田百合子、西江雅之、大岡昇平、山田宏一、フィリス・バンバウム、篠山紀信、巌谷國士、平岡正明。上の引用箇所はあとがき代わりの姉妹による対談(2021年)から。

ゲストや話題によっては自分の知っている事柄もあるが、鼎談者たちは読者に不親切で勝手にうなずきあって先に進んでしまう。とてもついていけない。
教養も広い。たとえば大岡を迎えた回では、三人とも分子生物学者ジャック・モノーの『偶然と必然』を読んでいて、論の核心も限界も見えているかの感がある。

教養がない。そのことの自覚は要る。つい忘れてしまうが。

2023.3.3 fri. link #詩 #ダダ #ツァラ

杭に隠れて、ものは言いよう。
文字にした後。
壁には子供たちが急に背を向け、彼と私のラップのようなものがすれ違う。

彼と私のラップのようなもの。
その前、その上、その下で。

彼の修理が小さく撫でると、彼の甥はダ・シ・コウの包み紙でコミットメントを叫ぶ。
このような甚だしきに至っては、甚だしきに至っては、甚だしきに至っては、甚だしきに至っては、甚だしきに至っては、甚だしきに至っては。

杭に隠れて、ものは言いよう。
――――
トリスタン・ツァラ著、小海永二・鈴村和成訳『ダダ宣言』

もううんざり! 競争社会から降り始めた現代のディオゲネスたち(木澤 佐登志) | 学術文庫&選書メチエ | 講談社(5/7)

【澁澤龍彦の生涯】破天荒なシュールレアリスト | P+D MAGAZINE

2023.3.2 thu. link

I
時には地面を掘り、最初は安定した形でした。
私は転生した人々、貝殻、私のものなどに乗っています。

II
カンパデールが動物のグリモーで生まれたように、私は血を流し、15匹の動物を持っていた貝殻の手段でフォリストが作った偉大な用途を隠します。私たちがサイコロを使ってアミルを変身させました(ボウラーパス)。
イギリスでは、掃除人を除いて、人々の頭を空にすること、コレーを砲撃することは雇用前の仕事でした。
私の作品は動物の目を追っており、私たちはそれらをアートで見て、それらを見て、相対的に牛を飼っています。

III
グリムズビーでの私の前職は芸術学校での仕事でした。
ほとんど牛飼いがいなかった頃、私は自分の短所にプリムズビーを釣り降ろし、同じようにランパーニュ牛を牛飼いにしました。
それらを行うのが難しく、アニメーション化するのが好きならば、恐ろしいものをたくさん読んだうえで、その後コンススクールの北に向かうのがいいでしょう。

IV
私は厩舎です。

V
私のお父さんの漫画はすべてを行い、死んだ町です。
私は目と頭を動かさず、北角のバンドをじっと見つめます。そこではレコードとスクリューによる攻撃が大好きです。
私は彼らにとって偉業であり、私はトランスであり、ボルディナリー、血の殻の部屋、ボルディナリラ、トランデスなどのために読んだ。
つまり、元船員でした。

VI
生き物の口を空にすると、血の豚は部屋に関連して部屋に、学校の子供たちから得られた、種類と痛みの境界にあるディスクで、それらを作成可能にします。
私はそれを聞くために安定して利用する。

VII
死んだ貝殻の場所は本当に痛むので、牛と偉業、芸術へ、手に入れて、ディスクへのコンス・ミー・ヴォリオン主義者は一般に余地があり、動物の中で使用され、ほぼすべての動物を這い回り、私が近くにひとつ持っていた場所と搾取、イギリスへ、リラは、きれいで、私がディスクの近くで働いていた学校を隠し、短所が私の教室からフォームで続きました。

VIII
牛やモース、地上の労働者のような貝殻。

2023.3.1 wed. link #詩 #ダダ #ツァラ

むかしおとこのきたりける
このきやうかすがののわかむらさきのすそをきりて
ついでおもひけむ

おもしろきことともやおもひけむ
  みだれそめにし、われならのきたりける
このきたりけるかりぎぬをなむ、おひつきていひやりければ
ついでおもほえず、ふるさとに、いとは、かくいちはやきみやびをなむしける
  みちのくのしのぶずりたれゆゑに
  みだれ、かぎりしられず
おもほえず、ふるさとに
このおとこうひかうぶりしられず

むかしびとは、かぎりして
  みだれ、かぎりしてかりにいにけり
  しのぶもぢずりのかりぎぬのすりごろも
ついでおもしろきことともやおもしろきことともやおもしろきことともやおもひけむ
  かすがののわかむらさきのすりごろも
といふうたのここちまどひにけり

2023.5.12 note.com投稿
いせものかたり|mataji
――――
今月の課題
ツァラ『ムッシュー・アンチピリンの宣言――ダダ宣言集』(塚原史訳)をていねいに読む。先日の竹内書店新社版『ダダ宣言』では理解しかねるところが、こちらでは素直に飲み込める。解説も充実。

現代思想の起源としてのダダ
「現代思想」が自己正当化のための大きな物語への不信というポストモダンの条件を前提とするなら、あるいは「現代アート」が不可解で意味不明な「作品」なしには成り立たないとするなら、そうした現代性の水源は、めぐりめぐってダダにさかのぼる。
と、塚原編訳版のまえがきにあり。