2024.6.29 sat. url #ChatGPT #ラップ
ChatGPT にラップ勝負を挑んでみた。
しかし、これ、どうやったら勝って終われるか。
ラップのバトルをしたい
次のリリックに応えよ
その生き野郎と縁があるって
歯なんばってのか
爪つめるってのか
もちろん、応えるよ。
おい、そいつとの縁は偶然の産物
君はその歯で戦う覚悟
爪を研ぎ澄まし、勝利を掴む
リズムに乗り、心を鎮めろ、まずは冷静に考えろ
君だと?
なに気取ってんだよ
俺とお前でやろうじゃないか
おう、やろうぜ、お前に負ける気はない
リズムに乗ってバイブス上げる俺のスタイル
君の言葉じゃ俺を止められない
このバトルで勝つのは俺、間違いない
けっ、まだ君かよ
好きにしてくれ、とろいやつだぜ
どこのどいつが、このバトルで勝つのは俺だか
ガキに、どもの世話をするってんで
黒い雨が、くたばっしょかよ
どもいねえに追いつめられてるってしまえ
ガキに追いつべ言うするっておまり、くたばっしめられてしまえ、ぶってのか札束な
笑わせるなよ、お前のその戯言
俺のリリックは刀のように鋭い、貫くぞ
君はただの雑魚、言葉で踊らされてるだけ
黒い雨?そんなもの俺には効かない
俺のフロウで君を叩き潰す、札束なんていらない
バトルの終わりには、君が俺に土下座してる
俺が勝者、君はただの敗者、これが現実だ
上等、上等、現実上等
勝者は俺で、敗者はお前
じっくり吠え面みせてもらうぜ
吠え面見せるのは君のほうだ
このリリックでお前の自信崩すぜ
勝者は俺、君は敗者、これが現実の結果だ
言葉の刃で君を刺し貫き、バトルの終わりに君はただの影
韻を踏んで、リズムに乗って
俺の勝利、君の敗北、もう決まってる
叫び声上げる前に、負けを認めろ
これが真実、君はもう終わってる
2024.6.25 tue. url #生成AI #ChatGPT #詩
人工知能による対話ボット ChatGPT が、なぜか詩を返してきた。頼んだわけではないのだが。
経緯は以下のとおり。
囲み部分が mataji のつぶやき。それ以外が ChatGPT の応答。
藪蛇とは、ヤブをつつくと蛇が出る、その蛇のこと。
英語では sleeping dog。ということは、日本にもどせば、寝た子か。
いずれにしろ、本質的に客体であるような存在。
「藪蛇(やぶへび)」という言葉は、「藪をつつくと蛇が出る」という状況を指しており、余計なことをすると予想外の問題や危険が生じることを意味します。この蛇はその結果として現れるものであり、本質的に客体として存在しています。
一方、英語の表現「Let sleeping dogs lie(眠っている犬をそのままにしておけ)」は、問題を起こさないために既存の問題を掘り起こさないほうが良いという意味です。この「眠っている犬」もまた、触れなければ害を及ぼさない存在として描かれており、客体として存在しています。
これらの表現を日本語に戻すと、「寝た子を起こすな」となります。つまり、「寝た子(問題や困難の潜在的な原因)」も本質的に客体として存在し、触れなければ問題は起きないというニュアンスです。
いずれの表現も、潜在的な問題や危険を示す存在としての客体を指しており、それに触れることによって問題が顕在化することを警戒しています。
つつかれて現れる。
つつかれないと現れない。
主体があるかのように見えても、
あるいは、主体であるかのように見えても、
じつは虚構の主体。
確かに、「藪蛇」や「寝た子を起こすな」という表現において、「蛇」や「寝た子」はつつかれたり起こされたりしない限り現れない存在です。この点から、彼らは表面的には主体的な存在に見えますが、実際には虚構の主体であると言えます。以下のように整理できます:
- つつかれて現れる存在:
- 「藪蛇」や「寝た子」は、何か外的な働きかけ(つつく、起こす)があって初めて現れます。
- それまでは潜在的な存在であり、顕在化するまでは影響を与えません。
- つつかれないと現れない存在:
- これらの存在は、つつかれたり起こされたりしない限り、表面に現れることはありません。
- そのため、問題を回避するためには触れないことが重要となります。
- 虚構の主体:
- つつかれることで現れる存在は、表面的には主体的なもののように見えますが、実際には外的な働きかけがなければ何も起こしません。
- そのため、本質的には主体ではなく、外的な働きかけに依存する存在、いわば虚構の主体です。
藪に潜んで外をうかがう謎の目。
二十日の月が上野の山にのぼるころ。
「藪蛇」の比喩やその存在の不気味さを考えると、「藪に潜んで外をうかがう謎の目」という表現は非常に象徴的です。この表現は、潜在的な問題や危険がどこかに潜んでいて、いつ現れるか分からない不安感をよく表しています。
「二十日の月が上野の山にのぼるころ」という情景描写は、その不気味さや神秘性をさらに強調します。静かな夜、月明かりが山を照らす中で、藪の中に潜む何かが存在するというイメージは、まさに不安と緊張感を呼び起こします。このような状況下で、藪をつつくという行為がどれほど危険であるかが、より一層浮き彫りになります。
以下にそのイメージを詩的に描写してみます:
藪に潜む謎の目
静かに外をうかがう
二十日の月が
上野の山に昇るころ
闇夜の静寂を破らぬように
そっと息を潜めている
藪をつつけば
何が現れるかは知れない
蛇のように忍び寄る恐れ
見えない存在の影が揺れる
触れなければ静かに眠る
虚構の主体は
ただ待ち続ける
その目が光る夜の中で
この詩的な表現は、潜在的な問題や危険の存在感を強調し、その静けさと不気味さを描き出しています。「藪蛇」の持つ深い意味を情景とともに表現することで、その警戒すべき本質がより鮮明になります。
(以上)