to top page
2019-06-16
「港に着いた黒んぼ」の永劫回帰
わたしが捨てた道を別のわたしが歩いている。――これがブランキの述べた永劫回帰の基本型。宇宙の事物は限りなくこの基本型を繰り返し、ヴァリエーションを生みながら絶えず現在に回帰してくる。

姉は16か17、盲目の弟は10歳ほど。
港の一角で弟は笛を吹き、姉はそれにあわせて歌い、踊り、日が暮れるころどこかへ帰っていく。
ある日、町の大尽の使いがやってきて、姉を大尽邸に招く。
姉は目の見えない弟と離れるのをいやがるが、町の有力者の招きをことわりきれず、弟を残して迎えの馬車に乗る。
夜になって姉がもどると、港に弟の姿はない。

以上が小川未明の童話「港に着いた黒んぼ」終盤までのおおよそ。
この時点で読者は弟がいなくなった経緯を知っているが、姉は知らない。
残りのストーリーは、姉のための部分的謎解き。

姉は弟を探しつづけるが見つからない。
そんなある日、外国航路の船から降りた「小人こびとのように背の低い黒んぼ」が姉に話しかける。
「あなたは南の島で歌を歌っていた娘さんではありませんか」
聞けば、その黒人があとにしてきた島で、その娘は盲目の少年の吹く笛にあわせて踊っていたという。そしてその娘は、衣装も姿もあなたにそっくりなのだと。
だがわたしは南の島へ行ったことなどはない。まして、黒人に先回りしてこちらの港に帰ってくることなどできるわけもない。
「もう一人この世には自分というものがあって、その自分はわたしよりももっと親切な、もっと善良な自分なのであろう。その自分が、弟を連れていってしまったのだ」
姉は胸が張り裂けそうになりながらも、事態をそのように了解する。

弟を捨てたわたしとは別に、弟を捨てなかったわたしがいて、そのわたしが今は南の島で弟の笛にあわせて踊っている。
ぴったり永劫回帰の基本型ではないか。
永劫回帰とは救済の願いのこめられた概念のはず。
じっさい、いったんは姉に捨てられた弟が、じつは救われて南の島に姉とともにいる。
永劫回帰の概念においてはさらにだいじなことだが、弟を捨てたわたしも幾分かは救われている。なにしろ、この世にはわたしよりもっと善良なわたしもいて、今も弟と手を取りあって暮らしているのだから。何よりも、弟は無事に生きているのだから。