月に吠える朔太郎の犬はニーチェの犬がモデルであること
これで3度目の引用か、ニーチェの『ツァラトゥストラ』から「幻影と謎」の章。
ふいに近くで犬の吠えるのをツァラトゥストラは聞く。
萩原朔太郎が詩集『月に吠える』で描いた犬の姿は、すべて上の引用部分に負うと見ていい。
自身による『月に吠える』序文の末尾は次のとおり。
詩集のタイトル「月に吠える」は、所収作「悲しい月夜」のフレーズから取られている。
冒頭の「ぬすつと犬」は、ニーチェの「犬」と「盗人」からの合成だろう。
犬を描いて集中最長の詩は、次の「見しらぬ犬」。
ニーチェの犬と同様、この犬もおびえている。
『月に吠える』には北原白秋も序文を寄せた。
「霜の下りる声まで嗅ぎ知つて」というあたり、「見しらぬ犬」を介して白秋の犬も気配におびえる「幻影と謎」の犬につながっている。
※『月に吠える』のテキストは青空文庫による。
ふいに近くで犬の吠えるのをツァラトゥストラは聞く。
わたしの思い出は過去にさかのぼった。そうだ! こどものころ、遠い遠い昔に、
――いつか、犬がこんなふうに吠えるのを、わたしは聞いた。毛をさかだて、頭をそらせ、身をふるわせて吠えたてる犬のすがたを見た。深夜の静寂のきわみには、犬も幽霊を信じるというが、
――わたしは憐れをもよおした。ちょうど満月が屋上に、死のように黙々とのぼっていた。そのしずかに動かない円盤のかがやき、――それが平たい屋根の上にあった。照らされたわが家はよその家のようだった、――
そのために、犬はあのとき恐怖にかられたのだ。犬は盗人 と幽霊の存在を疑わないからである。 ――氷上英廣訳『ツァラトゥストラはこう言った』
――いつか、犬がこんなふうに吠えるのを、わたしは聞いた。毛をさかだて、頭をそらせ、身をふるわせて吠えたてる犬のすがたを見た。深夜の静寂のきわみには、犬も幽霊を信じるというが、
――わたしは憐れをもよおした。ちょうど満月が屋上に、死のように黙々とのぼっていた。そのしずかに動かない円盤のかがやき、――それが平たい屋根の上にあった。照らされたわが家はよその家のようだった、――
そのために、犬はあのとき恐怖にかられたのだ。犬は
萩原朔太郎が詩集『月に吠える』で描いた犬の姿は、すべて上の引用部分に負うと見ていい。
自身による『月に吠える』序文の末尾は次のとおり。
過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉との不吉な悪夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて来ないやうに。
詩集のタイトル「月に吠える」は、所収作「悲しい月夜」のフレーズから取られている。
冒頭の「ぬすつと犬」は、ニーチェの「犬」と「盗人」からの合成だろう。
ぬすつと犬めが、
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる、
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
くさつた波止場の月に吠えてゐる。
たましひが耳をすますと、
陰気くさい声をして、
黄いろい娘たちが合唱してゐる、
合唱してゐる、
波止場のくらい石垣で。
いつも、
なぜおれはこれなんだ、
犬よ、
青白いふしあはせの犬よ。
犬を描いて集中最長の詩は、次の「見しらぬ犬」。
ニーチェの犬と同様、この犬もおびえている。
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具 の犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして背後 のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの背後 で後足をひきずつてゐる病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。
みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなとほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、
さうして
犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、
きたならしい地べたを這ひまはつて、
わたしの
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。
『月に吠える』には北原白秋も序文を寄せた。
「霜の下りる声まで嗅ぎ知つて」というあたり、「見しらぬ犬」を介して白秋の犬も気配におびえる「幻影と謎」の犬につながっている。
月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、真実に地面 に生きてゐるものは悲しい。
※『月に吠える』のテキストは青空文庫による。