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2019-10-27
デューリングによる弁証法批判
オイゲン・デューリングによるマルクス=エンゲルスの弁証法批判。

存在の根本的な論理的諸特性にかんする第一の、最も重要な命題は、矛盾の排除にかんするものである。矛盾したものとは、思想の組合せに属しうるだけで、現実にはけっして属しえないカテゴリーである。事物にはどういう矛盾もない。言いかえれば、実在的なものとして定立された矛盾ということ自体が、背理の骨頂なのである。……相反する方向に向かって抗争する諸力の敵対は、世界とそのもろもろの事物との現存在のうちでおこなわれているあらゆる活動の根本形式でさえある。しかし、自然力や個体の力の方向にこういう抗争があるということと、矛盾という不合理なものについての思想とは、けっして一致するものではない。 ――デューリング『哲学教程』

同じくデューリングによる弁証法批判だが、次の一節はヘーゲルのそれに対するもの。

ヘーゲルの論理学、というよりもむしろロゴス説に従えば、矛盾したものは、その本性からしてもっぱら主観的、意識的なものと見るべき思考のうちにあるのではけっしてなく、事物や過程そのもののなかに客観的に存在し、いわば肉体をそなえたものとして見いだされるというのだから、背理は、ありえない思想の組合せというにとどまらないで、実際の力となるわけである。不合理なものの現実性ということが、論理と非論理とのヘーゲル的統一における第一の信仰箇条である。……矛盾していればいるほど真理であるという、いいかえれば、不合理であればあるほど信じるべきだという格言、これは、新しく発見されたものでさえなく、啓示神学や神秘説から借りてきたものなのだが、この格言がいわゆる弁証法的原理の赤裸々な表現である。 ――デューリング『批判的歴史』

上の2件とも、エンゲルス『反デューリング論』(『マルクス=エンゲルス全集』第20巻、1968年、大月書店)からの孫引き。
日本語で読めるデューリングの著はなさそうだが、『反デューリング論』における大量の引用によって、デューリングの思想の大枠はわかり、20世紀後半に至ってジャック・モノーの『偶然と必然』が行なった弁証法批判と同じことを、すでに100年前(マルクス、エンゲルスと同時代)のデューリングが主張していたのが知れる。すなわち、ヘーゲル、マルクス、エンゲルスらの弁証法がアニミズムであること。