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2019-10-28
エンゲルスによる弁証法講義の悲惨な事例
理科の事象の弁証法的解釈2件。
いずれもエンゲルスが『反デューリング論』の中で「否定の否定の法則」の例として述べたもの。

もし一粒の大麦が、正常に生育しうるための条件に出会うならば、熱と湿気の影響のもとに、その内側にその種に特有の変貌作用が起こり、それは芽を吹く。その一粒の麦は、そのままの存在としては消え失せ、否定されて、かわりにそのなかから生まれた、もとの麦粒の否定としての植物が現れる。しかし、この植物の正常な過程はどのようなものであろうか。それは成長し、花咲き、受精し、そして新しい幾粒もの大麦を生み出す。そしてこれらの大麦が熟するや否や、茎は枯れ、今度はそれが否定されるのである。この否定の否定の結果として、われわれはふたたび最初の大麦の粒を持つこととなる。ただし、単一の粒ではなくて、その数は十倍、二十倍、三十倍にもなっている……。

数学においても事情は同様である。なんらかの代数学上の数量、たとえば、a を取り上げよう。それを否定すると −a が得られる。しかし、−a に −a を掛けあわせることによってこの否定を否定すると、a2 が得られる。すなわち、最初と同じ正の数量であるが、ただその次元がひとつ高まっている……。

引用はジャック・モノー『偶然と必然』(渡辺格、村上光彦訳)からの孫引き。
同書でモノーが言うには、弁証法的解釈を《科学的》に用いた結果として生ずる災禍のはなはだしさの好例、と。
カッコ付きの《科学的》である。モノーの用語を適用すればアニミズム
モノーによればこの災禍は、エンゲルス自身による同時代の重要な科学上の発見(熱力学第2法則など)の排斥、レーニンがマッハの認識論に加えた烈しい攻撃、スターリンの文化政策を押し進めたジュダーノフによる文化人の弾圧、遺伝学者たちが弁証法的唯物論と両立しない理論を主張しているとしてルイセンコが彼らに浴びせた非難にも及んだ。

弁証法のトンデモ性は理科のケースでわかりやすいが、文科でも本質的には同じ。
宗教は民衆の阿片であるとマルクスは言った。真似ていえば、アニミズムは人類の阿片である。人類はこの阿片と手を切ることができないのではないか。マルクス、エンゲルスらでさえ陥っていたのだから。