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[2020.4.8 - 2020.5.7]

2020.5.7 thu.

『パサージュ論』は、一見そうみえるほどに、「不在の作品」のための単なる準備作業なのであろうか。ここに集められた資料(引用文)は、「作品」のための単なる資料なのであろうか。むしろ逆に、それらは、その一つ一つが「作品」なのではないだろうか。不在の作品が予定されていたらしいのは確かであるが、ベンヤミンの精神の傾向ないし体質からして、ライフワークの首尾一貫した体系的形式をもつ著作だのといったものがベンヤミンの手から生まれたとは想像しがたい。そうではなくて、本書に見られるように、覚え書の断片や引用文の集積自身が、ベンヤミンの本来の傾向にぴったりと適合しているのであって、外見上「草稿」に見える本書全体がそのまま一つの「作品」であると考えたほうがいいのではないだろうか。 ――『パサージュ論』第1巻解説(今村仁司)

2020.5.5 tue.

李香蘭(山口淑子)が殺されずに帰されたこと。
法理としては、「日本人であることが明らかになったから、漢奸(売国中国人)としては無罪」ということらしいが、有罪にするつもりなら、法理や司法手続きなどどうにでもできたろう。
港を離れる引揚船のデッキから山口が上海の摩天楼を眺めていると、船内のラジオから自分の歌う「夜来香」が聞えてきたという(Wikipedia)。「夜来香」もあわせて無罪という象徴的光景ではないか。

2020.5.4 mon.

「上海の街角で」 歌: 東海林太郎、台詞: 佐野周二



1937年(昭和12年)
7月、盧溝橋事件勃発、日中全面戦争へ。
8月、第二次上海事変勃発。日本軍の死傷者4万、中国軍は18万〜20万(榎本泰子『上海』)。
12月、日本軍、共同租界でヴィクトリー・マーチを行う。

1938年(昭和13年)
7月、「上海の街角で」発売(全音楽譜出版社【@ELISE】)。
年後半? 林京子一家、避難先の国内から上海にもどる。虹口には戦闘の傷跡が残り、街中に抗日の空気が張り詰め、ひとたびテロ事件でもあれば非常線が張られた(榎本『上海』)。

2020.5.3 sun.

進化の不思議。
安静にしていれば自然治癒が期待できるものならともかく,自然界に置いて「虫歯による歯の痛み」にどういう適応上のメリットがあったのだろう。歯の痛くなる動物の方がより多くの子孫を残せたからこそ,そうなっているのだろうとは思うけど,踏ん張ったり,摂食が困難になって生存上不利な気もする。 ――ACTIVE GALACTIC on Twitter

2020.5.3 sun.

 ◯独の降伏説は、ベルリン防衛総司令官ヒムラーより出でし模様。新総統デーニッツ、ヒムラーの家族を捕縛す。実に血で血を洗う敗戦の相なり。
 ヒムラー何者ぞ、彼はわずか一週間前に「祖国を裏切り敵に降伏する卑怯者は断固銃殺せらるべし」と全ドイツ民衆に布告したる人間にあらずや。何が何だがわっぱりわからず。
 オランダの独軍、英米軍に屈し、イタリー戦線のドイツ全将兵もまた無条件降伏す。ベルリンはついに抵抗を中止し、ゲッベルスは自殺せりと。ああドイツ、何たる恐ろしき最期ぞや。
 ◯夕、鈴木首相より、日本はなお戦いぬかんとの放送あり。勿論なり。
 しかれども風呂屋にゆけば民衆の顔みな憂う。いくら憂いても憂い足らざる顔なり。
 サイパン落ちてみな悲しみき。しかもその結果の恐るべき、なお当時の悲しみに千倍するものなりき。ドイツ降伏の結果、おそらく今の憂いに万倍する苛烈さを以て、日本に雪崩れかからん。人これに対していくばくの覚悟ありや。――米英軍は、全世界の艦船兵力をあげて大挙日本の攻撃を開始せん。ソ連、また北方より襲い来たる公算、十中八九。
 しかも吾らは戦わん! ――山田風太郎『戦中派不戦日記』昭和20年5月3日条

具体的なことはほとんど国民に知らされてないかに思っていたが、このくらいは知らされてたのだな。
この程度のニュースも知らされずに、B29の襲来を日々ながめていたとしたら、SF や不条理演劇では及ばない奇怪な世界になってしまう。いや、奇怪が日常であるような、つまりは奇怪が奇怪と感じられない、案外平穏な世界だったかもしれない。

2020.4.30 wed.

歴史の天使、ブランキ、ブランキ殺し、上海の春、などのキーワードで検索していて「深情難忘」に行き当たったという。
- 日本の戦前歌謡が台湾で歌い継がれていること - Magazine Oi!

キーワードから見て、佐藤信の戯曲『ブランキ殺し 上海の春』について調べようとしたのだとわかる。
佐藤は『ブランキ殺し』で何をしようとしたのか。異版のブランキ版と上海版が1冊に納められていて、どちらも冒頭の設定は面白いが、全体で何をしようとしたのかさっぱりわからない。
この場合のわかるとは、言葉で理解できるということではなく、感じるところがどれほどあったかなのだが、YouTube で検索したということは実際の舞台や演出を見たかったのだろう。
結局理解を深める材料は得られず、代わりに拾ってきた別の謎が、なぜ「深情難忘」が今も台湾で歌い継がれているのか。

原曲「上海の街角で」発売時の上海について。
時代背景、および中国人の感情。

2020.4.29 wed.

コロナみたいなものが人類の生存競争を究極まで激化させるとしたら、生き残るのは自粛要請を無視してパチンコ屋に詰めかける層か、それとも財力で医学・医療リソースを享受できる富裕層か。前者は身体を賭けて耐性をテストし、死ぬものは死んで生き残るものは生き残る。後者は人類が蓄積してきた文化資産によって生き残る。
もっとドラマチックには、人類全員淘汰。ドラマとして鑑賞する人もいなくなってしまう。

近くを流れる宮川の水には、いろいろな小動物たちが、何の拘束もなく、嬉々として日に当たっています。もちろんマスクもしていませんし、外出禁止も休業も要請されていません。
昔、セミの羽化を観察したことがあります。今の情勢によく似ています。飴色をした蛹から成虫が抜け出し、後に形だけがいやに完備した抜け殻が残ります。現代世界もこれと同じでプレコロナの外層がポッカリ外れた後にはポストコロナの成虫がもう待機しているのではないか。カラスやカモやカメはみな何食わぬ顔でその日の予行演習をしているような気がして仕方ありません。 ――えやみ ときのけ 老いの春 - 野口武彦 公式サイト

ポストコロナの成虫とは世界の喩えなのか人類の喩えなのか。
いずれにしろ、何食わぬ顔で予行演習をしているカラスやカモやカメとは、われわれ人類のことではないだろう。

何より問題だったのが、ちょっと具合が悪くなったら一般病院に行ってしまい、「追い返された」と不安になり、保健所に電話しまくって繋がらず、更に不安になって、直接保健所まで行ってしまったり……
……微熱が出た従業員たちは、頭ではなく感情で動いてしまった。
理想論は通用しなかった。
「家に居ろ」が通用しないことを痛感した。 ――「家に居ろ」が通用しない。新型コロナに悩む歌舞伎町の現実 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

従業員とあるのはホストクラブのホストのこと。

人類にとって究極の事態といったようなことが起きた時、誰が生き残るかは予想もできないし、備えもできない。
結果的に生き残った者が、あとで英雄とか知者と呼ばれたり、あるいは神が称揚されたりする。

2020.4.28 tue.

映画「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の主題歌がテレサ・テン原唱だったこと。
歌は国境を越えること、歌詞なんかわからなくても。

テレサを引き合いにした RT あり。それで思い出したが、去年 YouTube で台湾歌謡をあさっていて「イヤー・オブ・ザ…」のエンドロールに行き当たり、曲名が Tian Mi Mi(甜蜜蜜)であること、原唱がテレサ・テン(鄧麗君)だったことを知って、30年あまり以前に調べかけたことが瞬時に解ける経験をした。
※「原唱」は中国語。これにあたる日本語はないが、字面からわかるとおりカバー曲の本来の歌い手をいう。



この歌をはじめて聴いたのは飯田橋の名画館で。
仕事のあいまの時間つなぎに入った館でちょうど流れていたのがこのエンディング。豊満な中国系女性歌手がどぎついオリエンタルサウンドに乗って歌う歌に魅せられて、もう一度聞くために二本立て映画をまるまる二本見ることになる。当時中年まっさかりの豊満と見えたシンガーは今見ればむしろキュートだし、どぎつく聞えたサウンドも記憶にあったよりマイルドだが、これらは年月のしからしむところ。
収穫の一つはマイケル・チミノを知ったこと。これを機に、「ディア・ハンター」、「天国の門」、「シシリアン」、「逃亡者」などを見る。
取り逃がしたのはテレサ・テン。映画の音楽担当者や作曲者を調べかけたが、自分には無理で早々に探索を放棄、当時日本でも人気沸騰の流れに乗っていたテレサにも行き着かず。

二度目にこの歌を聴いたのは、亡命ベトナム人の父娘がやっていたアヴィニヨンのベトナム料理店で。
小さなテーブルが二つ、それにカウンター席が三人ぶんほどの狭い店内でぼんやり料理の出るのを待っていると、あたりに何か漂うものがある。
なんだろう、これは? しだいに意識がまとまってきて、ああ、歌か。聞えていたのは男女の掛け合いで、映画の中の歌唱とはおもむきが異なるが、曲は「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」の主題歌に違いない。それにしてもどこから流れてくるのか、有線放送でも入っているのかと見回すも、それらしいスピーカーも見当たらず。
つい立ち上がって、宙に向けて腕を振り回し、これは何だ(「ソング」とか「シャンソン」とか叫んだだけだが)と問う私に、カウンターの中の娘が「これか」と取り上げて見せたのが黒い小さなカセットレコーダー。
音の正体に拍子抜けしたが、それまで浸っていた心地よさが消えたわけではない。同じアルバムが欲しいと言うと店主がパリの中国人街の地図を書いてくれ、それを頼りにたずねたベトナム人経営の雑貨店で入手できて、その後しばらくこのアルバムは我が愛聴盤となりました――ということでいったんは記憶に沈んだ話なのだが、去年になってその一角が浮上。

手に入れたアルバムには、「夜来香イェライシャン」など日本の曲も納められている。
昨日、今日の検索で、Tian Mi Mi(甜蜜蜜)がインドネシア起源らしいと知る。歌は国境を越える。

2020.4.26 sun.

社会は自由意志の存在を前提に成り立っている。
倫理や法が有効なのも、人は自由に意思するという共通認識があるから。
けれども、科学的にはどうなのか。
自由意志の存在を確かめようとする実験や解釈を検討して、脳科学の渡辺正峰が言うには、

現在では、自由意志を手放すまいと無理に解釈するよりも、素直に、我々はそれを持たないと認めてしまう方向へと議論が向かいつつある。 ――『脳の意識 機械の意識』

自由意志が主題の本ではないから、「向かいつつある」という具体例には踏み込んでないが、著者自身は自由意志の存在を否定している。少なくとも肯定はしていない。
自由意志がないからといって、人は悲観的になったり、自暴自棄になったり、犯罪や迷惑行為に走ったりはしない。それらのことは自由意志の有無とは関係ない。じっさい、『脳の意識 機械の意識』のあとがきには、

本書を書き始めた当初は、こんなイケイケな本にするつもりはなかった。もっと慎ましく終わらせるはずだったのだ。しかし、考えれば考えるほど、「ひょっとして、いけてしまうんじゃないの?」とその気になってしまった。

と強気な自己評価が記されているし、今後の研究の見通しについてもポジティブ。人は自由意志などなくても生きていけるし、現に生きている。自由意志があるとするのは、権力者や学校教師の都合にすぎない。

午前中の四方教授、家焼かれたりとて細菌学休講。 ――『戦中派不戦日記』4月26日

2020.4.25 sat.

別の台湾歌手による昨日と同じ曲。
深情難捨 - YouTube

この「深情難捨」は2017年発売のアルバム所収。
Album 魂縈舊夢 探戈專輯, Vol. 2, 徐筱涵 | Qobuz: download and streaming in high quality
オリジナルは1938年(昭和13年)に東海林太郎の歌で発売された「上海の街角で」。
日本で忘れ去られた曲が、台湾で歌われている。
リバイバルとかではなく、スタンダード的に歌い継がれているらしい。

テラスの前の桜はつぼみが色づいたくらい。勝手の窓の前は三分咲き、ごみ棄て場のそばは一番沢山咲いている。少し経って、また庭の桜をみまわってみると、さっきより、花が沢山になっている。時々刻々開いていってしまうのだ。 ――武田百合子『富士日記』1968年(昭和43年)4月25日条

バス停前の民家の門の両脇に、二本のしだれた桜をみかける。息をのむような美しさに車をとめて見惚れる。主人は車から降り、そばに寄ってしばらく見ていた。「枝垂桜ではない。花の重みで土に枝先がついてしまっているのだ」と車に戻ってきて告げた。 ――『富士日記』1969年(昭和44年)4月25日条

主人とあるのは武田泰淳のこと。
『富士日記』の季節感は現在の関東南半とずれている。温暖化のせいか、土地の違いか。

◯きのう頗る暑かりしゆえに、きょう薄着してゆくに風寒くして、終日教室にて震う。
◯サンフランシスコ会議ひらく、ソ連軍ベルリンに突入。ドイツ最後の幕下らんとす。実に感慨無量なり。 ――『戦中派不戦日記』20年4月25日

2020.4.24 fri.

あれこれあって、人は芸能にもどってくる。
もどってきて、しみじみ泣く。
結局、芸能がいちばん尊いのではないか。
事実と称するものより創り物。

午前七時半警報発令。八時半ごろよりB29約百二十機来襲、帝都西北方――立川附近の工場、飛行機を爆撃す。その響、はるか目黒の大地まで震わし、家々をゆする。
ひる、日白く暑し。正午、B29また一機来。 ――『戦中派不戦日記』昭和20年4月24日

2020.4.23 thu.

正午B29一機来。 ――『戦中派不戦日記』4月23日

2020.4.22 wed.

午前八時半、十時半、それぞれB29一機ずつ至る。午後一時半、敵味方不明一機、駿河湾に接近せるも反転南方に去る。 ――『戦中派不戦日記』昭和20年4月22日

何かを文章にする作業のうちに募ってくる気持ち悪さ。
実際に起きたこととそれを文章で記録したもの。後者を事実そのままとして与えたり受け容れたりすること。
ジャン・コクトー曰く、神話の嘘に現実は混じっていないが、「歴史」は現実と嘘との混ざりもの。
あるいは、事実を真実で置き換えること

事実を文章にするのではなく、文章を事実にしてしまうこと。
説得力のある文章とはそのようなものだろうし、書いていて愉快に感じられるのも、そのような文章だろう。

2020.4.21 tue.

自明のこと。

プラトンからホワイトヘッドにいたるまで、またヘラクリトスからヘーゲルとマルクスにいたるまで、自明のことながら、これらすべての形而上学的認識論はつねに、それぞれを編みだした思想家の道徳的かつ政治的観念と密接に関連している。これらのイデオロギー的構築物は、先験的ア・プリオリなものとして提示されてはきたが、じっさいには、まえもって抱懐していた倫理=政治理論を正当化するためにつくられた後天的ア・ポステリオリな構造物なのであった。 ――ジャック・モノー『偶然と必然』(渡辺格・村上光彦訳)

2020.4.20 mon.

午前吉田君来。これまた新宿二幸裏の焼跡整理にいっている由。配給米倉庫焼け、三千俵あまり消失、残りの米のうち二升もらって来たとて、袋に入れたのを見せる。嗅ぐにコゲ臭し。
午前零時半B29一機来。

4月20日なので、4月20日の日記から。山田風太郎『戦中派不戦日記』
日記みたいに書きたいと思う、どんな文章も。
大岡昇平、荒木経惟の日記などよかったように思う。
日記みたいに? というより、メモ的に、ということではないか。
おや、月日に加え年も一致。今年が2020年で、『不戦日記』が昭和20年。

2020.4.19 sun.

三勝ではなくお勝。「お勝半七」という通称の道中記。
聞いたことのないタイトルだが、じっさいに名作歌舞伎全集に入っている。つまりは、しかるべき作品なのだろうと読んでいる夢。長いし、とりとめないし、いつ終わるのだ。

道中記で思い出した別の道中記(A)
アフリカの北岸、アルジェ、モロッコあたりの地中海沿いを行く10数名のツアー。
途中で一行はふた手に分かれ、数人のグループと10人ほどのグループに。
以後のストーリーでは少人数のほうのグループのことだけが語られ、やがて両グループは再会するが、分かれていたあいだの大人数グループのことはいっさい語られない。何か秘密があるからとか、触れないほうが無難だから語られないのではなく、たんに語られない。
その語られなさがなんとなく心地よい(という読者である私の感想)。
人のことはどうでもいい、遠慮して聞かないのではなく、他人のことなのだからどうでもいい(これも感想)。

この話は昔読んだロブ=グリエの評論集『新しい小説のために』で論じられていた小説の一部として記憶していたもの。両グループの再会について何の感慨も述べられず、何の因果関係の説明もない。そこが愉快で憶えていたと思うのだが、去年の年末、古書店の店頭ラックでこの評論集をみつけた。
以下は(A)にあたる部分の抄。

『新しい小説のために』で確認した本来の道中記(B)
舞台はイスラエル、パレスチナなど。
ルナールがふたたびファントワーヌに姿を現す。
マドレーヌや他の者はルナールを非難する。私たちを置き去りにしたのですか。
「もちろん皆さんを愛してますよ。僕たちは死ぬまでひとつに結ばれています。ほら、僕もこうして帰ってきました」とルナール。
そうこうするうちに女性小説家が現れて、ジョンにたずねる。いったいどういう締めくくりをつけるつもりか、と。
それに対してジョンが言う。マリー・スチュアートについての研究を計画していたこと、起源のことを論じたこと、「それからふたまたに分かれてしまったこと」をぼんやりおぼえている、と。
作者はまたしても勝ったのである(これはロブ=グリエの結語)。

(A)と(B)の内容が違いすぎるが、(B)にある「もちろん皆さんを愛してます」や、「ふたまたに分かれてしまった」、「またしても勝ったのである」などは印象的な表現として記憶にあり、(A)の記憶をつくる土台として働いたはず。

2020.4.15 wed.

実存主義の瞬間。

やっぱりこれ、深すぎて何度でも見てしまうw 「神は死んだ」と知らされた瞬間の、ある青年の反応♪ https://t.co/UhAZXyiVq2

— mario tauchi / mario mandala (@mario_mandala) April 15, 2020
神は死んだと聞いて踊りだす青年。
ふいに彼を襲った自由。
たぶん with かすかな不安。
説明通りのビデオだとしたら、実存主義の瞬間をとらえた映像といえないか。

たまたまだが、本日サルトルの命日という。
- 本ノ猪 on Twitter

2020.4.9 thu.

人はどのようにして地動説に納得するのか。
太陽も月も東から昇って西に沈む。
オリオンも東から出て西に沈む
北の夜空を見れば、星々は天の一角を中心に半時計回りに回っている。
どう見ても回ってるのは月や太陽や星々ではないか。

2020.4.8 wed.

ベンヤミンは史的唯物論を「詐術」にたとえた。
彼の用語では「神学」。


- The Turk - Wikipedia

周知のように、チェスの名手である自動人形が存在したと言われる。この自動人形は、相手がどんな手を指してきても、その一局を確実にものにする応手でそれにこたえるように作られていたというのである。トルコ風の衣裳を身にまとい、水煙管みずギセルを口にくわえた人形が、大きなテーブルに置かれた盤を前にして席に着いていた。複数の鏡を組み合わせたシステムによって、どの方向から見ても、このテーブルは透明であるかのように錯覚させたのだった。本当は、テーブルのなかにチェスの名人である傴僂せむし小人こびとが潜んでいて、その小人が紐で人形の手を操っていた。ところで、この装置に対応するものを、哲学において想い描くことができる。〈歴史的唯物論〉と呼ばれるこの人形は、いつでも勝つことになっている。この人形は誰とでも楽々と渡りあえるのだ。ただし、今日では周知のように小さくて醜くなっていて、しかもそうでなくても人の目に姿をさらしてはならない神学を、この人形がうまく働かせているならば、である。――浅井健二郎訳「歴史の概念について〔歴史哲学テーゼ〕」(『ベンヤミン・コレクション1』所収)

唯物論は科学を自称する。
したがって、史的唯物論(歴史的唯物論)も科学である。
その科学であるはずのものが、神学によって発動されるという。すなわち宗教である。
この項がテーゼIとして「歴史の概念について」の冒頭に置かれていること。
したがって、以後の論の基調宣言として受け取れること。

以下に述べることは――と、ここでベンヤミンは宣言したことになる――科学ではありません、と。
読めばわかるが、そのとおり「歴史の概念について」は科学ではない。文学である。
日本語の「史」は、歴史そのものを指したり歴史学を指したりする。また歴史物語を言うこともある。「ふみ」とも読んで文章のことでもある。この多義性は英語の history でも似たようなものだろう。独語や仏語でも同様だろう。漢字圏もだろう。