2024.10.28 mon. url
ところでどこかに、ハイレ・セラシエ II 世がいたと思うが、
ミュージシャンの名前だったか、それともアルバムの名前だったか。
いや、そんなことにかかわりなく、I 世がいるのだから II 世だっているはずと、
思い出そうとしたり調べたりするうちに、
ああ、それだったのか。
これだったとは。
いや、II 世ではなく、話は I 世にもどるのだが、
1966年、ハイレ・セラシエ I 世はジャマイカを訪れる。
民衆の熱狂的な歓迎に、
皇帝自身が動揺するほどだったとか。
その後、エチオピア南部の街シャシャマネのマルカウォディャ地区に、皇帝からその地を与えられたジャマイカ移民約200人が、エチオピア人のラスタファリアン約200人と共に住むと聞き、
ならばと個人史をたどってみたら、
沖縄を出たのがいつだったか、あまりに昔すぎて思い出せないが、
それからたぶん、横浜の港から移民船で出航して、
どこをどう巡ったか、やがてジャマイカに上陸。
そこからさらにエチオピアへと、
運やら人やらに誘われるまま、流されるまま、
住みついた先が、上記マルカウォディャ地区という。
どこかに――いまもエチオピアに?――そんな一生をやった者が記憶の中にいて、
今朝の寝床でハイレ・セラシエ、ハイレ・セラシエと、
そいつがおれに、呟かせたのではなかったか。
思いついてベッド脇の引き出しを探すと、次のようなメモ。
単純なベースライン、過度のディレイ
コラージュによる二世の肖像 → ジャケット
皇帝、帝国、パピヨン、ディア・ハンター、ブランキ
帝国気分?
さすがに自分の書いたものだから、まったくの意味不明というわけではない。
たぶん、「ハイレ・セラシエ II 世」あるいは「帝国」とでも題したアルバムを作ろうと考えて、メモしておいたのだろう。