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2019-11-24
エンゲルスのアニミズム
エンゲルスのアニミズム的性向が露わな条。
『自然の弁証法』(大月書店『マルクス=エンゲルス全集』第20巻)「数学」の章から。

数学上の無限は、たとえ無意識にではあるにせよ、現実から借用してきたものであり、またしたがってこの無限はただ現実からのみ説明しうるものでもあり、けっしてそれ自体から、数学的抽象から説明しうるものではない。

表現の枝葉ではなく、思想の根幹にかかるエンゲルスの誤り。
無限の概念は現実からは得られない。
どれほど五感を働かせても、人は無限を感じ取ることはできない。健全な五感に恵まれた者が感じ取れる最遠方のものは、太陽、月、星々であろうが、最遠の天体でもわれわれの頭上有限の距離にある天球上に配置されていると見るのが、われわれの感覚。すなわち宇宙や空間の無限といった概念を、現実から借りてくることはできない。


無限は次のようにして人間の思考から生まれる。
たとえば数直線の上に、点を一つずつプロットしていく。すると直線を伸ばせる限りはいくらでも新しい点をプロットできることは、容易に想像が可。すなわち人は頭のなかで無限の概念に到達できる。
数直線のような数学めいたものを使わなくても、1、2、3、…と数え続けて、億、兆、京をこえ、那由他、不可思議、無量大数とある限りの数の名前を使い尽くしても、さらにその先に、その10倍、さらに10倍といくらでも大きな数のあることは、やはりたやすく考えつく。
2次元、3次元の空間についても同様で、たとえば数学の勉強で x-y 平面に直線や放物線をプロットした生徒は、それらの線分がどこまでも延長可能であることに容易に同意するだろう。無限の空間という概念も人の頭から生まれる。

人が現実場面で無限を味わうことはある。
たとえば、広い海洋にただ一隻で浮かぶ船の中で、あるいは波打つ砂丘に囲まれて出口の見えない砂漠にあって味わう茫漠感、さらには果てがないかのごとき感覚。けれども、そうした果てのない思いは海洋や砂漠の無限に由来するのではない。海洋も砂漠も有限の空間であって、無限の空間ではないのだから。
有限のものを見ながら、勝手に無限をつくりあげる人間の側の錯覚。
このように、人の脳内で生まれた概念を、外部の事物にそれらの属性として付与する精神のあり方をアニミズムという。
上の引用部分でエンゲルスは、自らのアニミズム的性向をそれと知らずして明かしている。彼の主張とはまったく逆に、数学上の無限は現実から借りたものではなく、数学的抽象から説明できる。

以下の2条も同じ性向によるもので、人の思考から生まれた無限をいったん外部世界に付与した上で、人の思考と外部世界のあり方が「同一の法則に従って」いるとする。最後の条に「この哲学」とあるのは、実際にはヘーゲルの弁証法を指すが、エンゲルスが自らの弁証法について述べていると見てかまわない。

われわれの主観的思考と客観的世界とが同一の法則に従っており、またそれゆえに両者がそれぞれの結果において結局は矛盾しえずに一致するはずだという事実は、われわれの理論的思考全体を絶対的に支配している。その事実は後者の無意識的かつ無条件的な前提をなすものである。

思考過程が自然と歴史の過程と類似し、逆に後者の過程が思考過程に類似すること、そしてこれらのすべての過程には等しい諸法則が妥当していることを、この哲学がたくさんの事例で、またきわめてさまざまな領域で立証したことは否定できないことなのである。

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