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2018-09-02
歴史はごろつき駆動
ルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)のクーデターは、一般的な用語ではボヘミアン──マルクスが好んだ表現ではルンペン・プロレタリア──が引き起こし、彼らによって達成された。
マルクスはそのことを『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で明らかにした。

自ら明らかにしたことを、彼は自身の歴史理論にどう生かしたか。
じつは、まったく生かさなかった。
このクーデターの主役がルンペン・プロレタリアであったという事実が、マルクスには気に入らなかった。
なぜ気に入らなかったか。彼の唱える歴史理論から外れるできごとだから気に入らなかった。これについては「マルクスが浮浪者を憎んだこと」で書いた。

理論にあてはまらない事実があったら、理論家はどうすべきか。
まず、その事実がたしかに事実であるかチェックする。
事実であれば、理論を修正する。
すでに理論に反する事実がある。サンプルは一つしかないが、とりあえずこのサンプルから「歴史はルンペン・プロレタリア駆動である」という仮説が作れる。
この仮説を検証するには、この仮説に合うできごとを過去のできごとから探す。
マルクスが「歴史は繰り返す、最初は悲劇として次には笑劇として」と言ったのは『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』において。だったらまず最初の「悲劇」から──すなわちフランス革命からナポレオン1世の登場までの歴史から──検討するのはどうか。その時期にもマルクスの言うルンペン・プロレタリア的人物が活躍したのではあるまいか。
じっさいにマルクスがしたことは、最初の「悲劇」を調べるかわりに、次の「笑劇」の主役であるルンペン・プロレタリアの下劣さをあげつらうこと。ルイ・ボナパルトのクーデターを歴史の例外的なできごとと見なし、いずれ失敗に終わるだろうとして、自身の歴史理論の傷を最小限におさえること。そういうことにマルクスは力をそそいでしまった。

以下の例は日本史から。
材料はすべて折口信夫「ごろつきの話」によった。うかれ人、ほかい人、野ぶし、山ぶし、念仏聖、虚無僧、くぐつ、すり、すっぱ、らっぱ、がんどう(強盗)、博徒、侠客、かぶき者、あぶれ者、町やっこ、舞々・舞太夫、しょろり・そろり、無宿者・無職者、これら無頼ごろつきのバリエーションとして「ごろつきの話」で用いられている語が、マルクスの言うルンペン・プロレタリアにあたると見た。

折口によると、うかれ人(歌舞、偶人劇、売色に従事)とほかい人(祝福芸人)という起原を異にするごろつきが平安末期から入り混じり、社寺勢力の衰退によって社寺のもとから逃げ出した奴隷らも、山伏し・唱門師の態をとって在来の浮浪団体に加わった。
彼らの活動は鎌倉中期から社会の表面でも目立つようになり、さらに鎌倉末期になると「このやりかたをまねる者も現れてきた」という。
(この辺、「ごろつきの話」を誤読。「ごろつき日本史」にて修正)
ごろつきが最も活発に動いたのは戦国末期。
歌舞伎の起原譚に名前の出てくる名古屋山三は、この時期のあばれ者、すなわちかぶき者。山三は幸若舞いの舞太夫だっただろう、と折口は推測している。伝説によると、山三は蒲生氏郷の寵を受けた有名な美少年。おなじく当時の有名な美少年に、豊臣秀次の愛を受けた不破伴作がいる。
伴作も山三と同じくごろつきで、彼らが主君に取り入る手段のひとつが男色であった。

後北条氏を立てた北条早雲の出身は確かではないが、らっぱか。「さらに探ってみると」と付け加えて折口が言うには、山伏あるいは唱門師か、と。
ばさら的・かぶき者的武将の代表に織田信長。
蜂須賀家の祖先小六はらっぱの頭領。
その小六に一時つかえ、後には逆に小六を取り立てた豊臣秀吉も、らっぱ出身ということ。
徳川氏の始祖は放浪の僧。南北朝の新田氏につながる者が遊行派の念仏聖として諸方を流浪したのち、山間の小領主であった松平に婿入りした(この伝承を徳川家は自家の歴史として採用した)。三河の山間に今も多くの芸能が保存されているのは、この地方に徳川とかかわりを持った者が多く、徳川氏の時代になって手厚い保護を受けるようになったから。

徳川初期まで生き残った大名で、傭兵としてごろつきの力を借りなかった者はほとんどいない。徳川氏も同じ。
けれども、関ヶ原戦や大坂冬・夏の陣を経て世の中が落ち着くと、徳川氏や諸大名はごろつきの活動を抑えにかかる。彼らは江戸期を通じて、芸能者、売色業、博徒・侠客、口入れ屋などとして過ごした。

以上が「ごろつきの話」のカバー範囲。話が近世までにとどまっていて、マルクスが考察した近代とは重ならないが、明治維新やその後の自由民権運動、ナショナリズムや社会主義思想の高揚などにまで時代を引き下げてごろつき的人物の活動を調べれば、洋の東西の比較は可能になるし、逆に西洋の歴史を中世に遡ってみれば、折口の列挙したような例が拾えるのではないか、たぶん幾らでも。

仮説: ごろつきが歴史を駆動する

この仮説でまず援用すべき資料・論考は、マルクスは不本意だろうが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』。