2024.12.4 wed. url #レトリスム
昨日のレトリスム記事のつづき。
漢字はテキトーに――ランダムにでも、恣意的にでも――並べただけで、何らかの意味をなす。その例を、次のフレーズを分解して、並べ直すとして考えてみる。
月耀如晴雪
とりあえずの意味は、月光が晴雪のようだ。「晴雪」をどう解すかで多少意味が揺れるが、そこはこだわらない。「耀」が動詞か名詞かで悩む必要もない。動詞でもあり名詞でもあり、月のかがやきが、かがやいている。
まず一例として、このフレーズは全体を逆順に読んでも意味をなす。
雪晴如耀月
雪が晴れて、耀く月のよう。多少おかしな感じはあるが、意味が通らないわけではない。
5種の文字を並び替えて得られる文字列の種類は120通り。そのすべてで、多少の無理はあるとしても、意味は通るだろう。
「如」が最後に来たらどうする、喩えの対象になるものがないではないか、という心配も無用。「突如」、「躍如」などのように、「如」には先行する文字を形容詞化、副詞化する働きがある。
以上、漢字はどう並べても意味をなすことの証明、了。おおいに乱暴ではあるけれど。
材料のフレーズは次の文書から借りた。この文書については、あらためて。
2024.12.3 tue. url #レトリスム
テキストを文字レベルで解体して、根拠のない文字列に置き換えることでダダを超えた(とする)レトリスムは、欧米では今日まで関心や運動が続いているらしいが、日本ではほとんど知られていない。
その理由を考えるに、
ローマ字 < 仮名 < 漢字
この順序で右に行くほど、それぞれの一文字が担う意味が広くなるからではないか。
たとえば英語では、一文字で意味を持つような語は冠詞の a くらいしかない。o、x、z など意味らしきものを感じさせる文字もあり、長さその他の単位として使われることもあるが、全体としては意味はとぼしい。二文字の場合も、前置詞や be 動詞くらい。
これに対し日本語の仮名では、あ、い、う、え、お、か、き、く、け……、ほとんどの文字が単独でも意味や働きを持つ。二文字でも、たとえば、あい、うえ、おか、きく、等。
ローマ字、仮名に比べて、漢字はきわめて多義。
ここでは漢文(中国語古文)を想定して言うことになるが、たとえば「大」という字は、「大、大きさ」という名詞、「大きい」という形容詞、「大いに」という副詞、「大きいとする、大きくする、大きくなる」などの動詞として機能する。
英語の接続詞や前置詞の機能をもつ文字も、他の意味や機能をあわせ持つ。
たとえば、「しかして」(順接)と「しかるに」(逆接)の両用の働きをする「而」は、二人称の「なんじ」の意味でも使われる。また象形文字としての本来の意味である「ひげ、あごひげ」などの意味も保持している。
場所を示す前置詞の「於」、手段を示す「以て」なども、「於いてする」、「以てする」として動詞的にも働く。
漢字は発音によって意味が変わることがあり、逆に、発音が同じ他の文字の意味を兼ねることもある。どちらの場合も多義化に寄与。
元のテキストを文字単位で分解して、ランダムに再構成するのがレトリスムの手法。
ローマ字のテキストでこれをやると、レトリスムの狙いどおり、意味のないテキストが生成されるが、漢文ではそうはならない。漢字の一文字の有する意味や機能が多様なため、ランダムに再構成しても意味を持ってしまうことが多い。
日本語の漢字仮名混じり文の場合は、ローマ字と漢字の中間。このことが、欧米でレトリスムが寿命を保ったのに、日本ではほとんど関心を持たれなかった主因ではないか。
関連記事: zakki no.49
レトリスム(仏:Lettrisme、英:Lettrism)あるいは文字主義(もじしゅぎ)は、ルーマニア出身の詩人イジドール・イズーが第二次大戦直後にパリで創始した前衛的な芸術運動……
2024.12.2 mon. url #詩
単練髟屈、履膜皮を用う
飛天夜叉の術なり
或いは刺客と言い、捷きこと神鬼のごとし
韓晉公、浙西に在り
時に瓦官寺、商人の無くして毛を戴かざるなし
単練髟屈、蓋を投じて上る
衆中に一年少あり、閣を弄するを請う
乃ち蓋を投じて上り、身を欹らして其の溜を承け、檐に至る
時に瓦官寺、商人の無くして毛を戴かざるなし
一足を空しくして、猿の如く掛り、鳥の如く跂する
飛天夜叉の術なり
original: 單練髟屈履膜皮、飛天夜叉術也……
2024.12.1 sun. url #詩
ヌエのよぶこえ忘れぬ
逢いに あなたさを たのにき
ヌエの鳥
こえ忘れぬ
怖さに でて逢いよぶこえ
暗いさをひとり
ヌエの鳥のこえ
ぼくのに よみちを忘れ
ヌエのよぶ怖さに でられ